それでも生きていく為に・・・

音楽、料理、小説、時々、創価学会

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題目は叶う! (体験談③)



②からの続き(最後)
 

 それから入居した半年後に敏弘は大原君の紹介で入会しました。ご本尊は取替えましたが、下の方が切れていた様です。ご本尊御安置の時に学会の人が来た際に、夫は畳に頭をつけて「息子をよろしくお願いします」と言ってくれました。信心をあれだけ反対し、私の信心を許さなかった彼はそこで全てを清算したかったのだと思います。

 入会して一年程して、敏弘は樋口さんの事を思い出しました。以前住んでいた家の隣の婦人部の方です。敏弘は自分が入会した創価学会と樋口さんもまた創価学会であることを分かり、挨拶に行きました。
敏弘は報告します。「引越してしばらくして学会に入りました。頑張ってます」と。樋口さんは「よかったよかった」ととても喜んでくれ、「実は話があるの」と中に入る様言いました。敏弘はそこで初めて全てを聞くことになります。敏弘はそれまで父から、私の実家で私だけが信心をしておらず、病気になって周りから無理矢理説得されて私のみ入会した、と嘘を教えられていました。けれども実は私が二世で松本時代には信心頑張っていたこと、父(夫)に反対されて出来なかったこと、病気になって病室で題目をあげ始めたこと、家族を入会させたこと、私がお願いして大石寺に行ってもらったその日に死んだこと。つまり自分が3歳と23歳の時に二重入会していた事実も初めて知る訳です。

「お母さんはあなた達が大石寺に行ってくれたから安心して旅立ったのよ。でもね、お父さんは、『もしあの時に大石寺に行っていなかったら妻の死に目に会えたんだ』とあれから学会を恨んだのよ。大石寺から帰って来た時にはお母さんは既に息を引きとっていたんですから」

そして樋口さんは言いました。
「これから話すことはお母さんの遺言だからちゃんと聞いておきなさい。いつかあなたに言わなきゃいけないと思っていたけれど、気付いたらあなた達引越してしまってどこに行ったか分からなかったから、ずっと心残りだったの。でもよかったわ」

敏弘は黙って聞いていました。

「お母さんは死ぬ前に私にこう言ったのよ。『私には夢があるんです。私は信心は旦那の反対でしばらく出来ないけれど・・・それはいつか二人の息子達が学会の庭で思い切り活動してくれるこなんです。文化祭で大活躍してくれることが夢なんです。でも・・・お兄ちゃん(隆志)は性格的に無理かなあ・・・でも俊君(弟)はいつかやってくれると信じているんです』とね。」

敏弘は静かに涙を流しておりました。


 さて、それからの敏弘は、波はありますが、学会の庭で思い切り活動してくれております。
私が皆様に言いたいのは、生きている時に祈っていたことが死んで20年して叶ったんですね。確かに生き延びたいとも祈ったかもしれません。しかし、自分よりも家族の誰か、特に敏弘が、いつか信心で立ってくれる様に祈っておりました。樋口さんに語った様にそれが私の夢でした。20年という歳月を要しましたが、大原さんが出現してくれて、廃屋の様な家からから立派なマンションに越せて、大原さん宅の近くに住む事になり・・・そうです、肉体は死んでも題目は叶うんですね。だから生きている皆さんの題目が叶わない訳ありません。そうですよね?

今でも敏弘は仏壇の前で私に語りかけてくれております。
「信心これでいいか?」って。私が仮に死なずに生きて広宣流布する分も合わせて広宣流布するんだと決意してくれております。

それよりも私は敏弘に言ってやりたいです。コンピューター使ってブログとかいう訳の分からないもので信心のことを書く暇があるなら、その間、題目を上げ、家庭訪問でもしなさいよ、てね。折伏でも行ってきなさいってね。どうか誰か代わり言って叱ってやってください。よろしくお願いします。

今日は本当にありがとうございました。
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かいつぶり

Author:かいつぶり
職業 マスコミ

趣味 読書、楽器、小説を書く、料理、音楽

好きな食べ物・・・スイーツと酸味の少ないコーヒー、美味しいフランス料理と美味しいワイン。それさえあれば至福の時

好きな音楽 70年代のソウルミュージック。80年代前半の西海岸サウンド。あとジャズや、山下達郎周辺

好きな作家 ドストエフスキー、カポーティ、アーヴィング、ヴォネガット 

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