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悪を滅する

悪と善とは何か? 正義と悪でも構わない。よく外部の人間とそんな話していると「そういうのを一元的に気決めてしまうのは、むしろ怖いのではないか?」と幾分反論される。イラク戦争然り、当事者達にとって「正義」だとしても相手にとっては「悪」なのである。「独善的な考えはいかがなものか」と。
僕は反論してみる。「では、あなたにとっての正義とは何ですか?」と。だいたい答えに窮する。まあ、それはいい。


 学会(僕ら)側からすると某団体が「悪」である。何故「悪」なのか。
御書には要約すると二つの事しか書かれていない。「広宣流布しなさい」「ご本尊を大事にしなさい」である。
某団体が、広宣流布している(あるいはしてきた)学会を切捨てたその「悪」は明らかである。ご本尊を大事にし、けなげに広宣流布してきた会員を無慈悲に切り捨てた大罪は大きい。
現実世界でもネットでもこの辺りの論戦、衝突は凄まじい。都合の良い教学を用いたり、お互い組織の重箱の隅をつつく様な意見交換がなされているが、特にネット世界での“それ”にはあまり僕は興味がない。無価値で無駄な時間を割くだけであり、どうせなら現実世界で足元の広宣流布を進めた方がいい。
簡単に言ってこう思う。本当に某団体が正しいのなら、学会を切り捨てた時に何故あれ程しか某団体に流れなかったのか。当時の学会員も馬鹿ではない。教学的にもあらゆる面でも大聖人の御遺命に沿った団体がどちらであったか、つくべき指導者はどちらなのか、かなり考えたはずだ。でも結局はあれ程だった。現証から言って、現在広宣流布を進め、もっと言えば会員数の多い団体が多いのは、イコールこの信心で幸せにした人間をどれだけ作ってきたのはどちらですか? と聞きたい。


「幸せになります」「折伏します」「広宣流布します」という祈りはしても、特に「悪を滅する」祈りをしている男子部はそれ程多くないのかもしれない。何故なら年代的に大石寺登山もしたことないし、僕も含めてリアルタイムでの経験がない。しかし、悪を滅する祈りと行動が無ければ結局の所、この信心の深淵にはたどり着けない。


立正安国論の一説を要約すると『この信心で自身が変革し、会合等でその度に決意し、気持ちを入れ替えても、人の心は分からないものでいずれ揺らいでしまうし、また流されてしまうであろう。この信心を貫いていくにはまず悪と対峙し、悪を滅する祈りと行動が大事だ』と書かれている。『悪』とは具体的な外部の敵とそれぞれの心の中の一凶である。


 ある女子部の話である。
ある女子部Aさんは当時有名な大手企業の社長秘書をしていた。しかしその社長のセクハラが酷かった。パワハラとも言える。「俺の女になれ!」「オマエなんか(金で)どうにでもなる」等、肉体的関係を迫るもので、とにかく酷かった。

Aさんは指導を受けた。Aさんは必死にセクハラが無くなる様に祈っていた。
幹部は訊く。「Aさん、その祈りの中で『悪を滅する』祈りはしているかしら?」
Aさんは「していない」と答える。幹部は諭す様に言う。「どんなに題目を上げても悪を滅する祈りをしていないと駄目よ」と。

Aさんはそれから某団体のことを祈る。自分の現在の生活とは具体的に関係がないかもしれない。もっと切実でもっと身近な『悪』(社長)があるにも関わらず。
しかし、それからすぐである。その社長は覚せい剤で逮捕される。テレビで人気の偏差値の高いある大学を出た某タレント(女優)と関係があったと噂されていた社長である。新聞でも大々的に報道された。


悪に対する声を上げ、祈り、行動をする中でこそこの信心の確信に迫れるのだ。
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かいつぶり

Author:かいつぶり
職業 マスコミ

趣味 読書、楽器、小説を書く、料理、音楽

好きな食べ物・・・スイーツと酸味の少ないコーヒー、美味しいフランス料理と美味しいワイン。それさえあれば至福の時

好きな音楽 70年代のソウルミュージック。80年代前半の西海岸サウンド。あとジャズや、山下達郎周辺

好きな作家 ドストエフスキー、カポーティ、アーヴィング、ヴォネガット 

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