それでも生きていく為に・・・

音楽、料理、小説、時々、創価学会

本当は何の為に?



 
 久しぶりの更新だけれど、本当は安保関連法案について書こうと思った。しかし、記事にするつもりで書き溜めてあったものがあったので、それを今回は記事にします。

 内部の知り合いの婦人部・白百合長のAさんが去年の後半から発心して今も頑張っている。
地区に越してきた未活動家の年下の部員Bさん(女性)の面倒も積極的にみて、去年の任用試験の受験の決意もしてもらい、合格責任者として勉強会に一緒に参加。 ”Bさんが合格する様に、人材に育つ様に”と祈り、結果、合格して大歓喜していた。素晴らしい。Bさんは悩みが色々あり、教学試験や徐々に参加し始めた会合を通して信心で解決しようと僅かながら前進、発心した様だった。

さて、激励、家庭訪問、そして信心指導は、”最終的に本人がお題目をあげれる様に、仏壇の前に座れる様に持っていくべきである”といわれる。先生のことを語っても、自らの体験を語っても、ただただ悩みを聞いてあげるだけでも、会合に参加してもらおうと通っても、それらを縁や契機として、相手自身が”よし、お題目に挑戦しよう”とか”きちんと朝晩の勤行をしよう”とか、”今よりもっと沢山お題目をあげよう”と決意して、実際に自ら仏壇の前に座る様にもっていかないとあまり意味がないのだ。

前出のAさんと部員Bさんの件でいえば、任用試験合格後はそれぞれが忙しくなり、あまり接点がなくなってしまった様だった。2人はつい最近久しぶりに会い、Bさんに状況を聞くと、あまり勤行も出来ていないということだった。それを聞いてAは「なんかちょっと悲しかった」と僕に言っていた。
多分だけれど、Aは一生懸命に激励し、一緒に勉強し、Bさんが合格して喜び、Bさん自身も活動を通して変わり元気になっていったのでもう大丈夫だと思ったが、時間が経ち”今はあまり勤行していない”という答えに”あそこまでやったのに、なんだったのだろう”という想いがあったのだろう。そしてため息をついてこう続けた。 

「結局、自分の自己満足だったのかな?」
と。

Aが、Bさんを受験させて合格させる責務を組織から与えられたことを達成できたという喜びによる自己満足もあっただろうが、その自己満足は実は間違ってはいない、正しい自己満足なのだ。満足して喜んだのだからOKだし、喜ぶ為にやっているのだからOKだ。Bさんだって勉強・合格して喜んだのだから『喜とは自他共に喜ぶ事なり』ともある。しかし、僕がAに「なんだかんだと本人が仏壇に座る様に持っていかなくてはいけなかったんじゃない?」という話に対して「そう、(反省して)今度から時間を作って一緒にお題目をあげることにしたの」と言っていた。

部員さんとの関わりや激励は、活動や組織や先生に近づけることも重要だけれど、結局のところは相手をご本尊により近づける為にあるのだ、ということを基本においていかないといけない。青年部を卒業して2年経つけど、当時を反省して書いておこう。
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コメント

なんか、騙された30年だった。
仏法も憲法も捻じ曲げられた。

かいつぶりさん、皆様大変お久しぶりです。
今回の大御本尊は授持の対象としない。 という学会のやり方にはビックリしました。大聖人直結と言いながら、師匠戸田先生の教えにも平気で背く先生のやり方にもビックリしました。おかげさまで、私達夫婦は毎日、幸せに暮らしています。かいつぶりさんには本当に感謝してます。また、いつか、会える事を楽しみにしてますね

こわいさんへ

具体的にどの様に騙されたんでしょうか?

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かいつぶり

Author:かいつぶり
職業 マスコミ

趣味 読書、楽器、小説を書く、料理、音楽

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好きな音楽 70年代のソウルミュージック。80年代前半の西海岸サウンド。あとジャズや、山下達郎周辺

好きな作家 ドストエフスキー、カポーティ、アーヴィング、ヴォネガット 

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