それでも生きていく為に・・・

音楽、料理、小説、時々、創価学会

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目標を掲げることの意味


 今の時期は、地区でも男子部でも女子部でも今年の目標を細かく決めていると思う。皆で自由に意見を言い合い、討議し、納得のいく気持ちよく戦える目標なら良いが、闘いが込み入ってきたり、本格化すると、組織側から“いついつまで、これだけやりましょう”という目標がおりてくる。
特に○戦になったりすると大変で、その目標に対して実際どうだったのか、しょっちゅう細かい報告があり、幹部になると愚痴と文句の一つでも出てしまうかもしれない。

3・16まで、5・3まで、11・18まで・・・・・・一年間も細分化され、各日付までの目標を掲げるときもある。
学会組織が何故、様々な闘いにおいて常に細かい期間で、細かい内容で、細かい目標を掲げるのか、疑問に思っている活動家も多いのではないだろうか。その根拠になっている一つに仏教の『化城宝処の譬え』がある。

『宝処を志して遠路を旅しながら、途中で疲れ果てて旅を断念しようとする人々に対し、導師が神通力で一つの城をつくり、これが目的地であるといって人々を励まします。そして、城で休息し、そこが目的地であると思っている人々に対し、導師はこの城は目的地ではなく、一時の休息のための化城であり、真実の目的地である宝処は近いと励まして、ついに長途の旅を成功させます。』(以上引用)

長く険しく果てしない旅。目的地がなかなか見えない中で人々から「まだ到着しないんですか?」とか「疲れましたぁ~」とか「お腹すきましたぁ~」とか言う声があがる。そこで導師は少し先に幻の城を出現させ「あそこが目的地だ。着いたら休憩しよう。温泉もあるし、美味しい食事もあるぞ!」と。それを聞いて人々は喜び、元気なり頑張って歩く。城で鋭気を養うと幻の城は消え再び旅が始まる。これを繰り返すのだ。

活動で「今年中に一人ご本尊流布しましょう」という目標をたてても、誰もすぐに対話に動かないだろう。だから「今月は5人の友人と遊びましょう」とか、「3・16までに会合に最低一人誘いましょう」とか、そういう目標を掲げる。ダイエットだって、夏まで10kg痩せようと目標をたてても成功しないだろう。10Kg痩せる為にまず今月中にマイナス2Kgを目指して間食を無くすとか。そういう目標設定をしないと成功しない。

信心においては、凡夫の我らが信心を絶えず続けていくためには、遠い先の目標ではなく、近い期日に目標を掲げそれを実行していく積み重ねが必要なのだ。会合で「皆さん、お互い一生のうちに宿命転換できればいいですね。それを目指してまあなんとか頑張りましょう」と言い合ったところで誰がそこで決意、行動できるのだろうか。「今日より決意新たに○○までに残り僅かですが、○○を達成していきましょう」とやるから心と身体が広布へ向かうのだ。


 創立80周年を迎えた後、学会は2030年(20年後)を目指して動き始めた。しかしそれを先生に報告すると、先生は「20年後ではあまりに遠すぎる。ダメだ」と却下され、総本部完成(2013・11・18)を目指した闘いに急遽変更された。

闘いや期日や目標やある種のノルマに追われて疲れている学会員は多いかと思うが、この難しい信心を続けていく為に、そして先生が我々に功徳を積んでこの信心で幸せになってもらいたい為に、それらは全て理にかなったこととして、根拠があり理由のあるものなのである。


(化城宝処の譬えでは、化城は、真実の教え(一仏乗)に至るまでの仮りの教えとか、方便とか、現世利益とかいう意味合いもあります。様々な活動や一つ一つの闘いは、この信心で功徳を積んだり、幸せになるための方便でもあります。病気が治った、就職できた、経済革命した、とかいった現世利益も、体験を積んで信心を続ける力を得たり、一生成仏という、あるいは絶対的幸福境涯の確立の為という観点では所詮は化城なのかもしれません。)
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コメント

私の目標も、目の前にあるように見えますが、本当はずっと先にあるのかもしれません!年末から3時間唱題を続けてますが、気を緩めずに、闘っていきます!
弱い自分に負けないで(笑)
夫婦で仲良く、今以上に幸せになり、周りの人たちに信心の素晴らしさを示していきます!

そういう意味があるのですね。以前組織が苦手だった時に、いつも数の報告ばっかりで営業みたいでちょっとやだなと思ってました。でも目標があるから具体的な行動になり広宣流布も進んで行くんですものね。その後色々とありまして自分自身を深く反省しまして、今は少しでも広布のお役に立ちたいと思っています。

質問があります。大きく境涯を開いて行く為にはどうすればいいのでしょうか?
やはり真剣な祈りと広宣流布の為の行動なのはわかるのですが、祈っても祈っても変わって行かない時、自分の何がいけないのだろうと悩んでしまいます。

蒼さんへ

コメントありがとうございます。
ご質問の答えですが、それに対しての私なりの答えが、
最新の記事 『体験発表と活動報告、どちらが大事?』として書かせていただきました。
ややこしい言い方ですが、境涯とは心の部分で、社会的な実証の部分では、本来は境涯でなく”境遇”と言います。組織では社会的な実証を境涯と言ってますが厳密には間違いです。

ちなみに題目をあげ広宣流布していれば既に境涯は開けています。境涯に伴って(比例して)境遇が開いているかは、その人の宿業や使命によって変わってくると思います。

お返事ありがとうございます。わかります、境涯と境遇が違うこと。新聞にも末期癌等でも前向きに周りの人に希望を与えながら懸命に生きている人の体験がよく載っていますね。
私は今、とても大きな問題に直面していまして、もう3年以上、真剣に祈りながら出来得る範囲の活動、仏法対話にも挑戦しています。その問題がどう足掻いても解決不可能な程の大変な問題で、組織の人にも色々と相談、指導も受けました。
この仏法は依正不ニ、自分が変われば周り、環境も変わると。そして毎日必死に自分自身の境涯革命を願い、広宣流布のお役に立てる自分になれるようにと祈り続けて来ました。それでも事態は変わって行かない。ずっと地獄界から抜け出せないのです。あまりにも苦しく辛い状況で、挫けそうになりながらもここまで生きて来れたのはお題目のお陰とは思っています。
それだけの宿業が私にあるのだとも思います。ただもう一刻の猶予もないぐらいの切羽詰まった状況で、どうしても環境を変えなければなりません。
広宣流布を祈りながら、行動している心そのものがもう境涯を開いているのですね。
ただそれに伴い依法、環境が変わるのには時間がかかるのか、場合によっては今世では宿命転換出来ない場合もあるのか。
不安になったりもします。
祈りの一念に何か問題があるのかとも考えてしまいました。
本当に切羽詰まった状況なのです。

Re: タイトルなし

蒼さんんへ

具体的にどの様なお悩みを抱えているかわからないので
どの様に答えていいかわかりません。あとインターネット
では指導は(当然)できないと思いますので、アドバイス程度
に読んでください。

大聖人は祈りは絶対叶うと仰ってますが、どうやったら叶うのかという方法論
は示されてません。しいて言うなら”強く信じること”でしょうか。
更に、人生どの様にして幸せになれるかという方法論も示されてません。
よく考えたらこの事実って凄くないですか?御書約1600頁の中
に”幸せになる方法”も”祈りも叶える方法”も書いていないんですから。
ただ、祈りが叶いづらくなる要因は明確に示されてます。
つまりこの叶いづらくなる要因を一つ一つ潰していけばいいんです。

『但し聖人の唱えさせ給う題目の功徳と我等が唱へ申す題目の功徳と何程の多少候べきやと云云、更に勝劣あるべからず候、其の故は愚者の持ちたる金(こがね)も智者の持ちたる金も・愚者の然(とも)せる火も智者の然せる火も其の差別なきなり、但し此の経の心に背いて唱へば其の差別有るべきなり、此の経の修行に重重のしなあり其大概(おおむね)を申せば記の五に云く「悪の数を明かすことをば今の文には説・不説と云ふのみ、有る人此れを分って云く、先きに悪因を列(つら)ね次ぎに悪果を列ぬ悪の因に十四あり・一に憍慢(きょうまん)・二に懈怠(けたい)・三に計我(けいが)・四に浅識(せんしき)・五に著欲(じゃくよく)・六に不解(ふげ)・七に不信(ふしん)・八に顰蹙(びんしゅく)・九に疑惑(ぎわく)・十に誹謗(ひぼう)・十一に軽善(きょうぜん)・十二に憎善(ぞうぜん)・十三に嫉善(しつぜん)・十四に恨善(こんぜん)なり」此の十四誹謗は在家出家に亘(わた)るべし恐る可し恐る可し』

簡単に説明すると、聖人の唱える題目も私の唱える題目も貴方の唱える題目に差はありません。優劣もありません。その功徳に差もありません。
しかし、差があるとすれば以下に示す14つの謗法(誹謗)をしているかによって変わります。
要するに池田先生が唱える題目だから凄いとか幹部の唱える題目だから凄いだろうとか、そんなのは無いんです、と。
題目をあげて活動してそれでも祈り叶わないなぁ~と思ったら、日常の自身の生命や活動に対する姿勢等をチェックして、それらを無くす様にしていけば、叶いやすくなります。

14誹謗は、
① 憍慢(きょうまん) 増上慢、慢心の意。おごりたかぶって、仏法をあなどること。
② 懈怠(けたい) 仏道修行をなまけたること。
③ 計我(けいが) 我見、自分の勝手な考えで、仏法の教えを判断すること。
④ 浅識(せんしき) 仏法の道理がわからないのに、求めようとしないこと。
⑤ 著欲(じゃくよく) 欲望にとらわれて、仏法を求めないこと。
⑥ 不解(ふげ) 仏法の教えをわかろうとしないこと。
⑦ 不信(ふしん) 仏法を信じないこと。
⑧ 顰蹙(びんしゅく) 顔をしかめ、仏法を非難すること。
⑨ 疑惑(ぎわく) 仏法の教えを疑って、迷うこと。
⑩ 誹謗(ひぼう) 仏法をそしり、悪口をいうこと。
⑪ 軽善(きょうぜん) 仏法を信じている人を軽蔑し、馬鹿にすること。
⑫ 憎善(ぞうぜん) 仏法を信じている人を憎むこと。
⑬ 嫉善(しつぜん) 仏法の信者を怨嫉すること。和合僧を破るはたらきをすること。
⑭ 恨善(こんぜん) 仏法を修行する者をうらむこと。

特にご本尊様も信じていて先生も大好きで活動も頑張って結果も出してる。それでも叶わないなら11~14をしている可能性が高いです。
同志に対する悪口や批判はもっての他ですが、特定の同士を軽んじる・ないがしろにする(軽善)のも罪になります。心で思ってもダメです。相手(同志)が貴方に対して
世法的にどんな非常識なことをしたり悪い事をしてもそれによって貴方が恨み返したり憎み返したりしても貴方が罰を受けます。叶いづらくなります。
14誹謗を心の部分でも言動の部分でもやっていないか、チェックしてみてください。何かしらしていたのなら、その部分を心から悔い改め、そうしない様にご本尊様に誓って、その通りに実践してください。驚く程変わりますよ。

ありがとうございます。14誹謗に関して正しくその通りだと思います。せっかく幸せになる為に信心始めて、誹謗で罪を負ってしまったら馬鹿みたいですよね。
それに関して書きたい事がありますが、まだまとまっていないので、とりあえずは
忙しいところ、わざわざ返信本当にありがとうございましたm(_ _)m

かいつぶりさんヘ

中々まとまらなくて、まだ14誹謗に関して書けないでいますが、以前に私は組織や幹部等に対して批判的な思いを持っていたことがありました。全てではなくて一部ですが。自分の意見は間違っていないと思っていましたし、おかしいことはおかしいと活動にも納得出来ないことがありました。
組織不信、怨嫉、その怖さを知らずにいました。
その後、色々な指導を読み、愚痴や怨嫉の怖さ、信心の素晴らしさも段々とわかって来て今に至ります。
怨嫉は恐ろしいです。最初は些細なことであってもそこから自分自身の信心破壊が少しずつ始まりますね。たとえ相手が悪かったとしても、怨嫉は自分が罰を受けますね。そのことに関してまた時間取れたら書かせて頂きたいです。
今、リアルで折伏頑張っています。先日の本幹も友人と参加し、そちらに時間取られています。頑張ります。

Re: タイトルなし

素晴らしいですね。
信心の一番大事な部分をきちんと理解してるのですから、大丈夫ですよ。
別に僕から何も書くことはありません。結果が出るか出ないか、どれ位かかるのかは分かりませんが、必ず良い結果になりますよ。


> かいつぶりさんヘ
>
> 中々まとまらなくて、まだ14誹謗に関して書けないでいますが、以前に私は組織や幹部等に対して批判的な思いを持っていたことがありました。全てではなくて一部ですが。自分の意見は間違っていないと思っていましたし、おかしいことはおかしいと活動にも納得出来ないことがありました。
> 組織不信、怨嫉、その怖さを知らずにいました。
> その後、色々な指導を読み、愚痴や怨嫉の怖さ、信心の素晴らしさも段々とわかって来て今に至ります。
> 怨嫉は恐ろしいです。最初は些細なことであってもそこから自分自身の信心破壊が少しずつ始まりますね。たとえ相手が悪かったとしても、怨嫉は自分が罰を受けますね。そのことに関してまた時間取れたら書かせて頂きたいです。
> 今、リアルで折伏頑張っています。先日の本幹も友人と参加し、そちらに時間取られています。頑張ります。

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かいつぶり

Author:かいつぶり
職業 マスコミ

趣味 読書、楽器、小説を書く、料理、音楽

好きな食べ物・・・スイーツと酸味の少ないコーヒー、美味しいフランス料理と美味しいワイン。それさえあれば至福の時

好きな音楽 70年代のソウルミュージック。80年代前半の西海岸サウンド。あとジャズや、山下達郎周辺

好きな作家 ドストエフスキー、カポーティ、アーヴィング、ヴォネガット 

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