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再開? 苦しみや哀しみや憂い


 「かいつぶり君、しばし休止にしておいていきなり更新ですか」という声が聞こえてきそうである。

休止を惜しんでくれるコメントや、お別れのコメントなど・・・誠にありがとうございます。その中に、以前の記事の『活動家の為のクイズ』の答えをお願いします、というコメントがありましたが、答えは記事のコメント欄にあります。


 さて、最近は・・・新しく人事があり部長を卒業して正役職を頂いた訳だけれど、ある部長のA君が口癖の様に言う「〇〇君、悩んでいるんですよ」という言葉がある。その部員さん(複数)の状況について話た(聞いた)際の言葉である。彼は部長として部員さんの悩みを聞き、一生懸命なのは分かるが、どこか悩みを聞いてあげることや悩みを聞きだしたことそれ自体に部長という立場からくる満足感に浸っている節がある。

よく聞いてみると、それは組織や生活上の愚痴や文句でしかなかったり、あるいは共に悩んであげることだけが正しいと思ってしまっている。
だから僕は突き放して言う。「どんな悩みでも・・そもそも悩むのは良いことだよ。悩むということは人生を前に進めようとしている証拠なんだから。それよりも怖いのは“迷う”ことだよ」

そして真剣に話す。悩みに対しては”生活指導”ではなく、”信心指導”でいこう、と。

僕らはどんな状況であれ、悩みから来る“憂い”や“哀しみ”や“苦しみ”や“不安”に憂鬱になり、心は曇り、ため息をつき、押しつぶされそうになる。
しかしそれらは“悩み”の本質ではなく、悩みから生じた心の状態でしかない。極論を言えば、それらは“悩み”(抱えている問題自体)から切り離すことは可能なのだ。問題は、それらの心の状態こそが“魔”の仕業であり、悩みは解決するべきことであり、悩みからくる心の状態は“思わなければいい”のである(笑)


 ここ数年のことである。
あるプロ野球の投手のAがいる。彼は肘を故障し、手術をした。激痛に耐えながら必死にリハビリに励み、新しいシーズンを迎えた。しかしとても不安だった。今まで通りのピッチングが出来るかどうか、チームに貢献できるかどうか。彼は毎日3~4~5時間と題目をあげる。しかし、憂い、不安、そこから来る“苦しみ”は払拭されることはなかった。

シーズンが始まってすぐの本部幹部会に彼は出席する。先生は彼を見つけ「A君、来ていたのか」と声を掛ける。彼は間髪入れずに「先生、頑張ります。勝ちます」と威勢の良い大声で元気よく答える。よくある光景だ。
しかし、先生はその言葉の裏にある彼の不安さや弱い生命をすぐに察した。先生は、彼の「先生、頑張ります。勝ちます」という言葉のすぐ後に彼に向かって厳しく叱咤する。

「そんな苦しみなんか放っておけ!!」

彼はその言葉(指導)に目が覚めた様な気がした。彼は生まれ変わる。結局、その年に20勝し、〇〇賞も獲った。WBCでは〇〇が招いた満塁のピンチの際に交代し、見事に抑えている。

どんなにランナーがいても、あるいはチームが負けていても、試合が終盤でピンチであったとしても“そんな状況から来るプレッシャーや不安”という環境から来る心の状態を一切気にせず(放っておいて)、本来投手がやるべき仕事、すなわち現在目の前にいるバッターを抑えることのみに集中し、そこに全力を注ぎ結果を出したのだ。その様にシーズン中に成長したからこそ(さっき書いた)WBCでも監督は彼を起用したのだろう。

「そんな苦しみなんか放っておけ!!」

苦しみから逃げろ、目を瞑れ、という意味ではない。その苦しいという心の状態に引きずり込まれ、本来成すべきことを出来なくさせていることがいけないのだ。


 我々一般人からすると、例えば恋人に振られたとか、会社の人間関係で悩み仕事そのものが嫌になるとか、お金がなくて不安で憂いでいる、とか・・・
別れた恋人となんか普通に考えてよりを戻すことなんか出来ない。しかしその“哀しみ”という心の状態は、別れた現実から独立して僕らを疲弊させる。しかし、その時に気付く。前者(恋人がもはや恋人で無いという現実)と後者(恋人と別れたことによる哀しみ)はもう一切関係がないんだということを。別れた哀しみは僕の心が勝手に作り出している現象に過ぎないんだということを。そんな哀しみを消すのが難しいのなら、そんな心は放っておいて新しい素敵な恋人を作る為に現実的に行動すればいいじゃないか。

会社の人間関係で悩んでいるなら、そんな憂鬱な心なんか放っていおいて目の前の仕事を精一杯頑張るしかないんだ。
お金がなくてため息をつくのも同じだ。そんな追い詰められる様な心放っておいて、より収入があがる為に智慧を出し、行動すべきなのだ。

当然、憂いや哀しみは“魔”の仕業であり、宿業である訳で、それを退治する祈り(謝罪と罪障消滅の祈り)も必要であるけれど。
何よりも、ネガティヴな心の状態に食い破られ、引きずり込まれ、環境のせいにし、本来するべきことを出来なくさせている自身がいるのなら、全ての因を自身の中に置く祈りをし、現実的に目標を立てて一つ一つ解決していくしかない。

と、ここまで書いておいて・・・実は・・・ジャジャ~ン!!

・・・僕自身・・・このまま一つの恋が終わるのかな? と・・・嗚呼・・・(泣)

まあ、それについて僕があれこれと思っている苦しい心なんか“放っておこう”と、先生のエピソードを聞いて思った。うん、本当にどうでも良くなるね。しかしだねぇ~、投手Aの問題に比べてあまりにレベルが低く過ぎて笑っちゃうのだけれど。

では、また気が向いたら更新します。


チャオ~
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かいつぶり

Author:かいつぶり
職業 マスコミ

趣味 読書、楽器、小説を書く、料理、音楽

好きな食べ物・・・スイーツと酸味の少ないコーヒー、美味しいフランス料理と美味しいワイン。それさえあれば至福の時

好きな音楽 70年代のソウルミュージック。80年代前半の西海岸サウンド。あとジャズや、山下達郎周辺

好きな作家 ドストエフスキー、カポーティ、アーヴィング、ヴォネガット 

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