それでも生きていく為に・・・

音楽、料理、小説、時々、創価学会

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キリスト教と創価学会、そして祈り。

 学会に入信してすぐに会社の有給休暇を使ってアメリカにしばらく遊びに行った。高校時代の友人のSが留学のためにウィスコンシン州に住んでいて、そこから二人でミネソタ~シカゴ~デトロイト~(ナイアガラ)~トロント(カナダ)~フィラデルフィア~バルチモア~ニューヨーク~ワシントンの主に東海岸を数週間かけて車で旅行した。素敵な旅だった。

ウィスコンシンに着いたのは確か5月で、二日後が大学の卒業の式の日だった。Sはバリバリのクリスチャンで、日本にいるときもちゃんと毎週日曜にはミサに参加し、きちんと一割献金(収入の一割を神にささげるという風習)をしているくらいの人間だった。だから彼が留学先の大学に属していたのもクリスチャンのサークル(『聖書勉強会』)だった。

卒業式が終わると、サークルのメンバーが中心者の牧師(50代くらいの白人)の家に招かれてのパーティーがあった。僕もそこに誘われた。サークルのメンバーはその日が最後の別れだった。国に帰る者、アメリカで就職する者、しばらくアメリカを旅行してから考える者、別な大学に行く者、それぞれだった。殆どがアジア(中国、韓国)の者で、両親は国からわざわざ息子(娘)の卒業式に出るためにアメリカにやって来ていて(結構裕福な家の子供達なのだろう)、パーティーにも参加することになった。

友人Sは僕を皆に紹介してくれ、僕も少しだけ英語が出来るのですぐに打ち解けることが出来た。

しばらく話していると牧師が「君はクリスチャンか?」と訊いてきた。
僕はすぐに「ノー、アイム・ブッダズム」(いいえ、私は仏教徒です)と答えた。
牧師は微笑んで、「そうか、信仰を持つことは素晴らしいことだ。」と言った。
牧師は続けた。「仏教とキリスト教は違う宗教だけど、祈るという行為は、人間がするあらゆる行為の中で一番崇高な行為なんだ」と彼は確信に満ちた声で言い、僕の肩をポンッと優しく叩いた。

パーティーが終わると祈祷会(pray time)になった。電機を消した薄暗い広い寝室の壁に沿って20人近くが牧師を中心に座った。僕も友人Sの隣に座った。全員が片手に蝋燭を持っていた。

順番にこれからの展望と希望と目標を短く言っていく。そしてそれに対して毎回牧師が言葉を述べ、10秒ほど全員で(神に)祈る。(黙祷みたいな感じ)
こんな感じだ。
「私は国に帰り、父の会社に勤めます。父の会社をもっと大きくしたいです。アメリカでの生活は自分にとって財産です。いつまでも神と共に頑張っていきます。皆さんのことは忘れません」
そして牧師が言う。「彼の仕事が成功する様に皆で祈ろう。彼が神様の慈愛の中で、健康で幸福で素晴らしい人生になる様に・・・・・・アーメン」

そして僕の番になった。どんなことを言ったか忘れてしまったけれど、牧師がこう言ったのは覚えている。

「Mr.○○(僕)は先日友人のSに会うためにアメリカにやってきた。彼のこれからの旅行が安全で素晴らしい想い出になる様に皆で祈ろう。彼はクリスチャンではないけど、彼の今後の人生が神のご加護の中で素晴らしい、豊かなものになる様、皆で祈ろう・・・・・・アーメン」

しんとする静かな寝室の中で、その時僕は自らの目に薄っすらが滲んでいるのを感じた。そして僕はキリスト教のある種の“良い部分”と断固とした“底力”みたいなものを感じざるを得なかった。


 あれから10年近くが経った。キリスト教に対しては(当然だけど)相容れない部分も持っている。神(GOD)の存在も信じていないし、いや、どちらかというと批判的立場かもしれない。それでもあの時牧師が言った言葉は今でも忘れることが出来ない。

「祈るという行為は、人間がするあらゆる行為の中で一番崇高な行為なんだ」 

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かいつぶり

Author:かいつぶり
職業 マスコミ

趣味 読書、楽器、小説を書く、料理、音楽

好きな食べ物・・・スイーツと酸味の少ないコーヒー、美味しいフランス料理と美味しいワイン。それさえあれば至福の時

好きな音楽 70年代のソウルミュージック。80年代前半の西海岸サウンド。あとジャズや、山下達郎周辺

好きな作家 ドストエフスキー、カポーティ、アーヴィング、ヴォネガット 

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