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如是我聞(にょぜがもん)の大事さ


 最近、たまたまある有名な学会系のブログを読むことがありました。そこには、ある学会員がブログ主(当然そちらも学会員)だけに読めるコメント(要するに今の悩みの相談と信心指導を求めている訳だけれど)を書いた様で、それについての返答をブログ主が複数の記事に渡って公開しているのです。
多分だけれど、個人的に返信できる術がなかった為、コメントした当人が読める様に、また質問内容をぼかしながらその他の閲覧している内部の方々にも役立ててもらおうと書いている様です。
しかし、その内容が全部自身の経験や体験だけで、自分も過去にこういう悩みを抱え~こう考え~こう捉え~こう取り組んでこう打開してきたよ~、よってこういう種類の問題に対しては自分はこういう結論を持っていますみたいな感じです。その一連の中に先生の指導、御書や法華経の引用が殆んど無いのです。

原理原則として、ネットであれ現実の組織であれ、誰かを激励する、信心指導する際には、必ず如是我聞でなければなりません。如是我聞とは、「このようにわたしはお釈迦様のおっしゃるのを聞いた」という仏教用語です。仏教のあらゆる教典(お経)は如是我聞です。僕らの立場にたって言えば、法華経と御書になります。また、法華経と御書に基づいて指導している先生(三代会長)の指導です。

どんなことでも「こうした方がいいよ。(してみようよ) 何故なら、御書にこう書いてあるよ」とか「こう祈るべきだよ。(こう祈っていこう) 何故なら御書にはこう書いてあるよ」とか「~という先生の指導にもあるから、こうするべきだよ(こうしていこうよ)」が必要なのです。例えば、聖教新聞に載る池田先生の随筆や本部幹部会のスピーチや様々な指導もそうです。一つ一つの事柄ごとにその根拠となる御書が毎回引用されておりますし、あるいは「戸田先生は~」と根拠となる師匠・戸田先生の言葉や行動を提示されます。先生もきちんと如是我聞という法理法則を守っているのです。

自分の体験や活動を前例に出して、それによって培った個人的価値観のみで他人に信心指導をする人がいます。そして自分の価値観・経験・体験だけで信心(信仰)を語った場合に、主に相手側の方がその後、我見の信心に陥ってしまう可能性が大きいのです。
以前、地元の壮年の方が、(折伏戦の時にとにかく折伏の結果を出したい場合)『10時間唱題を3日間やれば折伏が決まるよ』と言っておりました。実際にその方が体験されたのかもしれませんし、その方の世代ではもしかしたら有名な説なのかもしれません。しかしそんな指導を先生はされたことがありませんし、御書にも法華経にも一言も書いておりません。根拠のない事なので僕は信じませんでしたし、その通り実践もしませんでした。当たり前です。

何分、僕自身も青年部の活動家時代の前半は「如是我聞」の原則をあまり知りませんでした。それを知ってから、どんな些細なことでも、相手に経験や体験を話した上でその根拠となる御書や先生の指導を引用する様にしていました。当然、このブログも我見で酷いものでしたし、更新を辞めたのもそんな理由です。

 さて、誤解のない様に言っておくと、前出の某ブログ主さんは素晴らしい信心をされている方だと思います。沢山の体験をされている様です。冒頭、僕が問題視した記事でも間違ったことは言ってないのです。仏法的にも世法的にも常識的にも外れたことは言ってません。そう、問題ないのかもしれませんが、大事なのは、それを読んだ誰かが間違った方向へ行く可能性が孕んでいるのです。

「先生の指導」
「御書の御文」
「法華経」
…このいずれかの引用も無い指導や激励は、ネットでも現実の組織や会合でも、あくまでアドバイスの一つ程度に受け止めておくべきだと思います。
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かいつぶり

Author:かいつぶり
職業 マスコミ

趣味 読書、楽器、小説を書く、料理、音楽

好きな食べ物・・・スイーツと酸味の少ないコーヒー、美味しいフランス料理と美味しいワイン。それさえあれば至福の時

好きな音楽 70年代のソウルミュージック。80年代前半の西海岸サウンド。あとジャズや、山下達郎周辺

好きな作家 ドストエフスキー、カポーティ、アーヴィング、ヴォネガット 

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