それでも生きていく為に・・・

音楽、料理、小説、時々、創価学会

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いじめ、自殺願望、祈り



 昨年も一年間の自殺者が3万人を越えてしまった様である。先日、携帯でこのニュースを見てふと思ったことがあったので書いてみる。

 僕は3歳の時に母を亡くして今だに何も記憶がない。父は自営業だたったが、2人の息子を育てる為に仕事との両立が難しくなり、一家は生活保護、一家心中未遂数回、父による暴力・・・家の屋根の所々がなく雨漏り三昧(笑)、ネズミが家の中で死んで腐乱しても気づかない、トイレは水が流れず、風呂も壊れていた。凄く貧乏だった。 詳しくは『題目は叶う』①
ごくたまに連れて行ってもらえるマクドナルドでもチーズバーガー1つだけ。それでも狂喜乱舞したものだ。風呂は週に一回程度、着ているものも汚く、僕自身性格は暗く、陰気で、勉強が出来ず、スポーツもダメ・・・そんなことだから小学5年の頃にいじめにあった。

僕は5名程のグループに属していた。パソコンが好きで根暗な、休み時間には校庭にも行かず教室の隅にいる様なグループだった。女の子や、活発で明るい同級生にも相手にされない様なグループだった。僕はそのグループの中で皆からいじめられていた。無視、からかい、引きずり回される様な暴力・・・結構壮絶だった。

家には仏壇とご本尊があった。母が学会員だったので(当時は知らない)死んで仏壇とご本尊だけが残った。しかし、学会のこともご本尊が何たるかも知らない。母の記憶もないので母に対して愛着もない。仏壇にも手を合わせない。ご本尊は常に開きっぱなし、ホコリが1センチも積もり、年に数回掃除する時は掃除機で直接仏壇とご本尊を掃除していた。しかし、叔母(母の姉・学会員)の家に夏休みを利用して長い間泊まりに行った時は朝にお経を覚えさせられた。それが何かよく分からなかったが、ふらがなで書いた経本で勤行を覚えてた。
それが信仰というもの、創価学会という事は多分知らなかった。よって自分の家の仏壇と同じものだということすら知らない、母が学会員だなんても知らなかった。
ただ、何かあったら南無妙法蓮華経と唱えなさい、とだけ言われてた様な気がする。

いじめが酷くなると、僕は死にたいと思った。毎日家で父に内緒で泣いていた。そして、気付くと僕はホコリまみれの仏壇向かって、南無妙法蓮華経と唱えていた。仏壇に向かって、記憶のない母親に対して「お母さん、死にたい。辛い、もういじめれれたくない。こんな人生嫌だ!」と嗚咽を漏らしながら必死になって題目を唱えていた。別に毎日長い時間となえていた訳ではない。時折、数分間だけだった。といっても、小学5年生には自殺する勇気も方法も無かった。


ただ、それから次第に同級生の活発なグループのリーダー格から休み時間や放課後に「〇〇ちゃん(僕)、俺達と遊ぼうぜ!」と言われて、彼らの後について遊ぶ様になった。運動の苦手な僕は必死になって彼らの仲間になろうと努めた。僕が当時どれだけ鈍くさいかと言うと、野球で空振りして肩口から出たバットの先にやっと到達したボールが偶然に当たってピッチャーゴロみたいな感じである。

スポーツ好きでクラスでも中心的な人数の多いその明るいグループに属する様になり、僕がいじめられていたグループの友達も僕を相手にしなくなり、いじめがなくなった。そしてクラス代えがなくそのまま小学6年になると勉強とスポーツに頑張り、テストではクラスで一番を争う様になり、それまでカナヅチだった僕は半年で50メートル泳げる様になった。性格も見違える様に明るくなり、たった一年ですっかり色気づいていた(笑)

いつかは覚えていない。誰から聞いたかも覚えていないが、かなり後になって知ったことがある。それは、当時、いじめが酷くて隠れていつも泣いていたのを父は知っていて、父は下校時に学校から出てくる明るいグループの前出のリーダー格を見つけると(僕の家の目の前に学校があった)、何度も「ウチの〇〇(僕)は〇〇達からいじめられているみたいだから、お願いだからウチの〇〇(僕)と遊んであげてくれないか」と頼んでいたらしい。
そんな父のお願いで彼らは決して性格の合うタイプじゃない僕を遊びに誘ってくれ、僕のいたグループから引き離し、自分のグループの一員にしてくれたのだろう。


 23歳で入信して入15年も経つが、今こうして書きながらふと初めて気付いたことがある。いじめにあっていた時に、このままだったら死にたい、いじめなんか嫌だ、とボロボロ泣きながら仏壇の前に座って訳も分からないまま唱えていたあの僅かな題目は叶っていたんじゃないか、と。

そう、僕は知らない間に、(入信10年以上前に) 既に小学5年生の時点で題目で祈りを叶えてしまったのだと思う。人間というのは心の底から絞り出す様に必死になって何かを求めれば与えられるものである、と(外部の)誰かが言っていた。断崖絶壁な状況だからこそ宿命転換が出来る、と先生の奥様が言われたことがある。

 当時は何も知らなかったけれど、小学5年生の時の、純粋で、必死で、しがみつく様な、あの題目の感覚を忘れてはいけないと思う。
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挨拶 仏界と地獄界



 明けましておめでとうございます。

 このブログについては、去年の夏に学会の人事があり忙しくなったことで放置せざるを得ない状況になりました。閉鎖を考えましたが、“一時お休み”にし、コメント欄をチェックしきれない状況もあり、コメントは全て非公開にしました。
夏以降、様々なコメントや質問がありましたが、きちんとお答えもせず大変申し訳ありませんでした。


 去年は長い一年だった様な気がします。
特に震災と原発問題と夏の節電で様々な想いを抱きながら、多くの事を考えさせられる一年だった様な。
私生活においても“えっ? こんなことが?”ということが良いことも悪いことも起き、むしろその意味では再び御書と先生の指導を学び、大きく反省した一年でした。

去年の後半には、長いこと一緒に闘ってきた部員さんに言うのは、「半年か一年前までの自身がやってきた信心を僕は捨てたんだ」と言いました。
捨てた、とは大げさですが、全部一から反省しチャックし直しているいんだ、と。
その意味では、この信心とご本尊と先生への確信は比べものにならない位に得ることが出来ました。そしてこれまで僕と闘ってきた同志には、謙遜しながら再び信心と祈りの基本を確認し合う、良い年でもありました。

何よりも、それによって今は常に幸福だと感じて生きています。
本当に胸を張って「俺、本当に今幸せなんだよ」と皆に言います。例えば、仕事のことなど些細なことで悩んでいても、前日に「明日、絶対解決する」と深く強く祈り、翌日には案の定オセロが黒から白にパタッとひっくり返る様に一瞬にして解決すると、ご本尊の凄さを更に実感して喜びのあまりその場で泣き崩れそうになる位な状況が沢山ありました。
祈りが叶ったことが凄いんではなく、毎日の様にこの信心の偉大さを実感出来ることが功徳なんだと思います。


 以前、教学担当者と話した時に地獄界仏界について教えてもらいました。
表に出ている活字としての教学(すなわち教学試験や様々な出版物で目に触れ、教えられてきたもの)では、地獄界と仏界はとてつもなく開きがある様な感じがします。スカイツリーの一番下と天辺とか、北海道と沖縄とか。
地獄界は、暗い部屋に閉じ込められ絶望しかなく、息をしているのも辛い、そんな最悪の状況に思います。逆に仏界は、当然、全ての相対的幸福も満たされた上で、自身には何不自由なく、他人に尽くす・・・言葉では言い表せない位の境涯、心の状態かと思います。でも、実はそうじゃないんだ、と。

地獄界とは、常に何かに追われている状況だと。仕事のこと、家庭のこと、お金のこと・・・様々なことに追われ、生活が受動的になり、悩みに常に心を奪われている状況だと。
仏界は、その悩みが解決していなくいても、ため息を漏らさず、憂いもなく、その状況を自ら心で楽しんでいることだ、と。
戸田先生は「仏とは生命である」と仰りましたが、自身の様々な生命を俯瞰して眺めながら、人生の様々な事象を醍醐味として味わい深いものとして捉え、現実的に進んでいることだ、と。

当然、そんな僕が仏界の境地にある凄い男であるという意味ではありません。しかし、様々起こる試練や苦しみや憂いを“いやぁ~、人生って醍醐味あるなぁ~”と頭をポリポリ掻いて苦笑いしながら、ご本尊に全てを感謝出来る様になっています。
先生は「感謝の題目をあげなくなると必ず行き詰まるよ」と教えてくれています。、悩みが出てご本尊の前に座った際に「これが僕の宿業なんですね。ありがとうございます」と先祖と自身の過去世と現世のこれまでの謗法と捉え、とことん悔いて、謝罪し、全ての事象に感謝します。

人生とは醍醐味である、と確信します。(相対的幸福も含め)向上心と成長は当然必要で貪欲に求めますが、しかし、他人や組織や誰かから自分がどう見られているか、どう比べられているか・・・そんな事、気にならなくなったと思います。
よって、特に学会組織においては相手を誰かと比べて評価したり、「この人は凄い」とか「この人はこの部分がダメ」とか心の中でジャッジメントすることもなくなりました。未来部から婦人・壮年部に至るまで、どんなに合わない人でも、また、僕を不快にさせるなタイプの人でも心の底から尊敬出来る様になったと実感します。

先生も書かれていますが「綺麗な花(バラ)にトゲがあるのではなく、トゲのある花にでも綺麗な花(バラ)が咲いているんだ」と感じる様に、またそう心がける様にしています。そういう心こそが信心(祈りと学会活動)において功徳の源泉ではないでしょうか。


 先生は結果(功徳)が出ない理由についてこう仰ってます。

「結果が出ないのは、インチキな祈りをしているか、インチキな決意をしているか、インチキな行動をしているか、そのどれかだよ」と。
場合によっては複数であり、全部インチキだったりするんですね。反省しなければなりません。

このブログは相変わらずのスタンスですが、今年もよろしくお願いします。

さて、お正月はもうすぐ終わりですが・・・


Rock'n'Roll お年玉/大滝詠一

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かいつぶり

Author:かいつぶり
職業 マスコミ

趣味 読書、楽器、小説を書く、料理、音楽

好きな食べ物・・・スイーツと酸味の少ないコーヒー、美味しいフランス料理と美味しいワイン。それさえあれば至福の時

好きな音楽 70年代のソウルミュージック。80年代前半の西海岸サウンド。あとジャズや、山下達郎周辺

好きな作家 ドストエフスキー、カポーティ、アーヴィング、ヴォネガット 

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