それでも生きていく為に・・・

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祈りと、結果の関係

僕の部のメンバーのA君の(離れた実家に住む)お母様の頭部に腫瘍が見つかったのが数ヶ月前だった。あるきっかけで病院に行った際に腫瘍が見つかり、幸いにも早期発見だったので大したことはなさそうである。本人は薬でなんとかしようとしたかったらしいが、検査が進むにつれて後々のことを考えて医師は摘出手術を勧めた。

お母様は普通に日常生活を送れるし、バリバリ学会活動をし、ガンガン題目をあげている。開頭手術をなんとか避けようと祈ていたが、結局は近いうちに手術が決まった。A君は(仕事の都合もあって)手術前に実家に帰り、お母様に激励してくるという。

そんな折に部活でA君は幹部に上記の状況を話し、幹部に決意してこう言う。

「手術が成功する様に・・・実家に帰った時に、一度仏法対話しようと思っていた先輩に学会宣言をして対話してきます! それと旧友に沢山会ってFを取ってきます!」

まあ、ここまでは学会ではよくある光景である。むしろ素晴らしいことだ。自分の悩み、家族のこと、病気や仕事のこと等の問題解決の為に結果を出す、という決意だ。

しかし、幹部は言う。
「それは素晴らしくて大事なことだ。でも・・・思うんだけど・・・率直にどうしてそういう決意をしたのかな?」

A君はしばらく黙り込む。こういう切り返しはあまり経験がないのだろう。僕もあまりない。A君は考えながら答える。
「それは・・・行動して結果を出せば、手術がうまく成功すると思うからです」

幹部は若干首を傾げる。
「どうしてかな? つまりね・・・行動して広布の結果を出せば祈っていることが確実性を増す、という考えだよね? まあ、それは大切だよ。でもね・・・結果云々ではなくて・・・素直にご本尊に『大事な母親にもっともっと長生きして欲しいんです・・・だから手術が成功します!』って小さい子供が親にオモチャをねだる様にストレートに祈ればいいだけのことじゃない?」

幹部は続ける。
「結果を出すから、あるいは出したから祈りが叶う、叶わない、という問題じゃないんだよ。小さい子供が親にオモチャをねだる時に家庭の経済状況とか、これだけお手伝いをしたから買ってくれるかな? とかをいちいち考えるかな? ただただストレートにお願いするだけでいいんですよ」

結構深い指導である。特に男子部ではこの様な領域に踏み込んだ指導はあまりない。

『今こういう悩みがあるからこそ、今のこういう学会の闘いを勝利する、この戦いに賭ける』というステレオタイプ的な発想に一石を投じた指導だ。

こうも言えるのではないか。つまり、結果を出さないとご本尊が祈りをかなえてくれないのではないか、という意識である。それは結局はご本尊不信である、とも言える。広布の為の行動には功徳があるが、それを自分の祈りに補てんする意識だ。けれどもこれは見方によってはご本尊に条件をつけているのではないか。

僕はブログでも部員さんにも『期限を決めて祈れ』という。しかし、戸田先生は激昂して否定する。「ご本尊様に条件なんてつけるな! 失礼だ!」と。「期限を決め祈るというのがどうなのか?」とある婦人部が質問した際の答えである。『どうか、いつまで○○をしてください。お願いします』と『いつまで○○をこうします』との違いな訳だけれど、勘違いしている人が多いのではないか。

A君の件について言えば、結果を出せば祈りが叶う確実性が増すだろう、という思惑があるのも事実だろう。しかし、それよりも『手術が成功する』というストレートな強い祈り(一念)をもっとするべきだし、(自分には気づかない)祈りの弱さと足りなさを行動と結果で補おうという意識があると思う。僕だってそういう傾向が無い訳ではない。

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かいつぶり

Author:かいつぶり
職業 マスコミ

趣味 読書、楽器、小説を書く、料理、音楽

好きな食べ物・・・スイーツと酸味の少ないコーヒー、美味しいフランス料理と美味しいワイン。それさえあれば至福の時

好きな音楽 70年代のソウルミュージック。80年代前半の西海岸サウンド。あとジャズや、山下達郎周辺

好きな作家 ドストエフスキー、カポーティ、アーヴィング、ヴォネガット 

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