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音楽、料理、小説、時々、創価学会

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人材育成

 ある作家の短編の中で、登場人物の中年の女性が若い男性に“女性とうまく付き合う方法”を三つ指南している場面がある。ガールフレンドとの仲が発展途上の男性にアドバイスするシーンである。女性曰く。

「黙って話を聞いてあげること」
「着ている服を褒めてあげること」
「出来るだけ美味しいものを食べさせてあげること」である。

なかなか薀蓄のある味わい深い場面であった。ひとつの見方としては面白い。この話を友達の女の子と話したら「う~ん、でもね、わたしは黙って聞いてくれるよりは、時折相槌なんか打って欲しいな」と言う。まあ、人それぞれだろう。

この文章を読んで、僕が(女性に対して) “そーか、そうしてみよう”なんて学習したとかそういうレベルではなく、物凄く示唆に富んだ内容だったので頭に残っているというだけの話である。そもそもフィクションの世界なのだから。


 最近、ヤング男子部本部長のA君が熱い。熱すぎる。任命を受けて2ヶ月ほどだが、ここ数年停滞していた本部ヤング男子部を盛り上げ様と徹底的に家庭訪問している。
名簿を持ちながらラインの部長(僕ら)やヤング部長(支部責任者)と一緒に時間があれば家庭訪問し、部長やヤング部長が「あの人会えないよ」とか「厳しいよ」と言っても関係なく回ってくれている。使命に燃え、一人でも活動家を増やそうと行動しているA君に僕らも勇気づけられている。まさに『一人立つ精神』だ。
彼のやり方は見事だ。家庭訪問→会えたメンバーと仲良くなる→自分の家(一人暮らし)に呼ぶ→話をじっくりし、悩みなどを聞く→先生の指導を一緒に学びながら、一緒に勤行をする、である。実際に数名のメンバーが会合に出る様になった。脱帽である。

それでも部員さんのことや人材育成という点で色々と悩んでいるA君が参加する会合で、僕は冒頭の“女性とうまく付き合う三つの方法”の話をした。

「これはあくまで女性に対する内容だけど、一般社会でも学会活動でも言えることじゃないかな? 未活動の部員さんに対しては、会合に来させるとか、こちら側から一方的に信心の凄さを伝えるのではなく、まずは『黙って話を聞いてあげること』、つまり学会や組織や信心に対しての相手の思いや悩みを黙って聞いてあげること、そして「着ている服を褒めてあげること」、つまり相手の良い部分を見つけて褒めてあげること。そして「美味しいものを食べさせてあげること」、つまりお茶でもいい、飲みでもいい、玄関越しの対話からじっくり腰を据えて膝を突き合わせた対話に発展させること、だと思うな」


 池田先生が第一部隊隊長だった頃の部員増の戦いもそれであった。
社会的にもあまり裕福でもなく、会社や社会でもあまり目立たない若いメンバー、もっといえばうだつの上がらないメンバーに対して、先生は信心の深い細かい話は一切なしで最初は徹底的に激励した。それは食べ物の激励だった。とにかく美味いものをどんどん食べさせた。そこで色んな話を部員さんから聞いた。組織や信心に対する疑問や人生に対する悩みでなどもあっただろう。先生は「君達は仏子なんだ。使命があるんだ」と激励した。


そして今度は「一緒に折伏しに行こう!」と先生は言った。「とにかくついて来なさい。 僕が『そうだよね? その通りだよね?』と君に言うから、君は『はい、その通りです』とだけ言えばいいからね」
対話の場面で先生はその様にした。隣にいるメンバーに時折「そうだよね? その通りだよね?」と言い、メンバーは「はい、その通りです」と答えるのみ。その他の言葉は一切話させなかった。こうして先生はメンバーに折伏の場面を沢山見させて学ばせた。「こうやってやるんだよ」と。

次に先生は「今度は君一人で折伏に行ってきなさい」と言った。しかし、メンバーはなかなか決まらず肩を落として帰ってくる。先生はそれでも「よくやったと褒め称えた」
決まらない折伏が続くと、先生は「今度は決めようよ!」と結果に執着させた。それからメンバーは次第に個人折伏を決めていった。


そもそも会えないメンバーと会え、相手が色々話してくれる様になるにはどうするか。それは簡単である。題目しかない。前出のA君がとても関心する素晴らしい事を言って驚いた。

「題目上げないで部員周り(家庭訪問)するの怖いんですよね」


 学会員としては不謹慎かもしれないが山本五十六の言葉である。しかし、人材育成という観点では共鳴するものがあると思う。

「やってみせ 言って聞かせて させて見せ ほめてやらねば 人は動かじ」
「話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず」
「やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず」
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悪を滅する

悪と善とは何か? 正義と悪でも構わない。よく外部の人間とそんな話していると「そういうのを一元的に気決めてしまうのは、むしろ怖いのではないか?」と幾分反論される。イラク戦争然り、当事者達にとって「正義」だとしても相手にとっては「悪」なのである。「独善的な考えはいかがなものか」と。
僕は反論してみる。「では、あなたにとっての正義とは何ですか?」と。だいたい答えに窮する。まあ、それはいい。


 学会(僕ら)側からすると某団体が「悪」である。何故「悪」なのか。
御書には要約すると二つの事しか書かれていない。「広宣流布しなさい」「ご本尊を大事にしなさい」である。
某団体が、広宣流布している(あるいはしてきた)学会を切捨てたその「悪」は明らかである。ご本尊を大事にし、けなげに広宣流布してきた会員を無慈悲に切り捨てた大罪は大きい。
現実世界でもネットでもこの辺りの論戦、衝突は凄まじい。都合の良い教学を用いたり、お互い組織の重箱の隅をつつく様な意見交換がなされているが、特にネット世界での“それ”にはあまり僕は興味がない。無価値で無駄な時間を割くだけであり、どうせなら現実世界で足元の広宣流布を進めた方がいい。
簡単に言ってこう思う。本当に某団体が正しいのなら、学会を切り捨てた時に何故あれ程しか某団体に流れなかったのか。当時の学会員も馬鹿ではない。教学的にもあらゆる面でも大聖人の御遺命に沿った団体がどちらであったか、つくべき指導者はどちらなのか、かなり考えたはずだ。でも結局はあれ程だった。現証から言って、現在広宣流布を進め、もっと言えば会員数の多い団体が多いのは、イコールこの信心で幸せにした人間をどれだけ作ってきたのはどちらですか? と聞きたい。


「幸せになります」「折伏します」「広宣流布します」という祈りはしても、特に「悪を滅する」祈りをしている男子部はそれ程多くないのかもしれない。何故なら年代的に大石寺登山もしたことないし、僕も含めてリアルタイムでの経験がない。しかし、悪を滅する祈りと行動が無ければ結局の所、この信心の深淵にはたどり着けない。


立正安国論の一説を要約すると『この信心で自身が変革し、会合等でその度に決意し、気持ちを入れ替えても、人の心は分からないものでいずれ揺らいでしまうし、また流されてしまうであろう。この信心を貫いていくにはまず悪と対峙し、悪を滅する祈りと行動が大事だ』と書かれている。『悪』とは具体的な外部の敵とそれぞれの心の中の一凶である。


 ある女子部の話である。
ある女子部Aさんは当時有名な大手企業の社長秘書をしていた。しかしその社長のセクハラが酷かった。パワハラとも言える。「俺の女になれ!」「オマエなんか(金で)どうにでもなる」等、肉体的関係を迫るもので、とにかく酷かった。

Aさんは指導を受けた。Aさんは必死にセクハラが無くなる様に祈っていた。
幹部は訊く。「Aさん、その祈りの中で『悪を滅する』祈りはしているかしら?」
Aさんは「していない」と答える。幹部は諭す様に言う。「どんなに題目を上げても悪を滅する祈りをしていないと駄目よ」と。

Aさんはそれから某団体のことを祈る。自分の現在の生活とは具体的に関係がないかもしれない。もっと切実でもっと身近な『悪』(社長)があるにも関わらず。
しかし、それからすぐである。その社長は覚せい剤で逮捕される。テレビで人気の偏差値の高いある大学を出た某タレント(女優)と関係があったと噂されていた社長である。新聞でも大々的に報道された。


悪に対する声を上げ、祈り、行動をする中でこそこの信心の確信に迫れるのだ。

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かいつぶり

Author:かいつぶり
職業 マスコミ

趣味 読書、楽器、小説を書く、料理、音楽

好きな食べ物・・・スイーツと酸味の少ないコーヒー、美味しいフランス料理と美味しいワイン。それさえあれば至福の時

好きな音楽 70年代のソウルミュージック。80年代前半の西海岸サウンド。あとジャズや、山下達郎周辺

好きな作家 ドストエフスキー、カポーティ、アーヴィング、ヴォネガット 

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