それでも生きていく為に・・・

音楽、料理、小説、時々、創価学会

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キリスト教と創価学会、そして祈り。

 学会に入信してすぐに会社の有給休暇を使ってアメリカにしばらく遊びに行った。高校時代の友人のSが留学のためにウィスコンシン州に住んでいて、そこから二人でミネソタ~シカゴ~デトロイト~(ナイアガラ)~トロント(カナダ)~フィラデルフィア~バルチモア~ニューヨーク~ワシントンの主に東海岸を数週間かけて車で旅行した。素敵な旅だった。

ウィスコンシンに着いたのは確か5月で、二日後が大学の卒業の式の日だった。Sはバリバリのクリスチャンで、日本にいるときもちゃんと毎週日曜にはミサに参加し、きちんと一割献金(収入の一割を神にささげるという風習)をしているくらいの人間だった。だから彼が留学先の大学に属していたのもクリスチャンのサークル(『聖書勉強会』)だった。

卒業式が終わると、サークルのメンバーが中心者の牧師(50代くらいの白人)の家に招かれてのパーティーがあった。僕もそこに誘われた。サークルのメンバーはその日が最後の別れだった。国に帰る者、アメリカで就職する者、しばらくアメリカを旅行してから考える者、別な大学に行く者、それぞれだった。殆どがアジア(中国、韓国)の者で、両親は国からわざわざ息子(娘)の卒業式に出るためにアメリカにやって来ていて(結構裕福な家の子供達なのだろう)、パーティーにも参加することになった。

友人Sは僕を皆に紹介してくれ、僕も少しだけ英語が出来るのですぐに打ち解けることが出来た。

しばらく話していると牧師が「君はクリスチャンか?」と訊いてきた。
僕はすぐに「ノー、アイム・ブッダズム」(いいえ、私は仏教徒です)と答えた。
牧師は微笑んで、「そうか、信仰を持つことは素晴らしいことだ。」と言った。
牧師は続けた。「仏教とキリスト教は違う宗教だけど、祈るという行為は、人間がするあらゆる行為の中で一番崇高な行為なんだ」と彼は確信に満ちた声で言い、僕の肩をポンッと優しく叩いた。

パーティーが終わると祈祷会(pray time)になった。電機を消した薄暗い広い寝室の壁に沿って20人近くが牧師を中心に座った。僕も友人Sの隣に座った。全員が片手に蝋燭を持っていた。

順番にこれからの展望と希望と目標を短く言っていく。そしてそれに対して毎回牧師が言葉を述べ、10秒ほど全員で(神に)祈る。(黙祷みたいな感じ)
こんな感じだ。
「私は国に帰り、父の会社に勤めます。父の会社をもっと大きくしたいです。アメリカでの生活は自分にとって財産です。いつまでも神と共に頑張っていきます。皆さんのことは忘れません」
そして牧師が言う。「彼の仕事が成功する様に皆で祈ろう。彼が神様の慈愛の中で、健康で幸福で素晴らしい人生になる様に・・・・・・アーメン」

そして僕の番になった。どんなことを言ったか忘れてしまったけれど、牧師がこう言ったのは覚えている。

「Mr.○○(僕)は先日友人のSに会うためにアメリカにやってきた。彼のこれからの旅行が安全で素晴らしい想い出になる様に皆で祈ろう。彼はクリスチャンではないけど、彼の今後の人生が神のご加護の中で素晴らしい、豊かなものになる様、皆で祈ろう・・・・・・アーメン」

しんとする静かな寝室の中で、その時僕は自らの目に薄っすらが滲んでいるのを感じた。そして僕はキリスト教のある種の“良い部分”と断固とした“底力”みたいなものを感じざるを得なかった。


 あれから10年近くが経った。キリスト教に対しては(当然だけど)相容れない部分も持っている。神(GOD)の存在も信じていないし、いや、どちらかというと批判的立場かもしれない。それでもあの時牧師が言った言葉は今でも忘れることが出来ない。

「祈るという行為は、人間がするあらゆる行為の中で一番崇高な行為なんだ」 

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創価学会の芸能人(有名人)②

 昨日の続き

①について言えばこの前こんなことがあった。

学会員でない元アイドルの女の子と電話で話していた。内容は学会についてだった。彼女は僕が学会であるのは知っているし、以前選挙を頼んだことがある。

「ねえ、そうそう・・・・・・細木数子って学会員なんでしょ?」と彼女は訊いた。
「・・・ん・・・ん? ・・・細木数子って・・・あの細木和子?」と僕は答えた。
「そう・
・・」

「えええぇぇぇぇぇっ!!???
 細木数子?」
思わず口から(漫画によくある)石でできた“えええぇぇぇぇぇっ”が飛び出してきそうだった。

「地元の友達の中で噂になってるの」
「・・・・・・」
「でね・・・○○さんの愛人やってるって・・・」
「愛人・・・・・・アイジン!・・・・・・あいじん!!・・・ふうぅ」

即効否定し、そうでない理由を分かり易く説明しておいた。まあ、こういうことあるんだよなあ。全く、もう。

 ③と③についていえば、つまり学会員の情報となる。これは④とも関わってくるが、要は“芸術部”の存在だ。

芸術部とは、学会の中の芸能人、歌手の集まりである。といっても、デザイナーやプロダクションやレコード会社勤務のいわゆるスタッフもいる。芸術部は、各地域にまず組織を持つ、例えば大田区芸術部や八王子芸術部といった感じだ。地域ごとの会合が年数回あり、そこで(信心、社会的両面で)頑張った芸術部員は中央の会合等に出られる。更に選ばれた人は本部幹部会に出席できる。

芸術部員になるにはある程度の審査がある。(僕も誘われたが断った)ミュージシャンでいうと、アマチュアでもインディーズ等でCDが流通している程度でなれる。よって芸術部員は実は結構多い。そこそこ活動家の学会員ならば身近に芸術部員が一人や二人いるし、そこから色んな情報が入ってくる。

注意したいのがその情報の出所と裏づけだ。その芸術部員が(会合等で)直接見た、もしくは話した、会った。と、その芸術部員が他の芸術部員から聞いた。この二つの隔たりは大きい。更に、芸術部員が話した内容が多くの非芸術部の学会員を伝言ゲームの様に伝わっていくと、全く別な話になることが多い。


僕の身近にも多くの芸術部員がいる。こんなのがあった。

韓国出身の若い(売れている)女性歌手が学会員である、という。韓国SGIで頑張っている。ということを聞いた。しかし、最近になって本国韓国でキリスト教系の大学の広告塔になっていた。(怪しいな)

AV女優のA.Sが学会員らしい。彼女は去年初めに行われた教学一級試験(仏法のテストみたいなもの)に合格した。本当かな? と思って彼女のブログを見て(その時初めて彼女のことを見たわけだけど)、確かに選挙投票日の前日の日記には、「明日は選挙です。国民の義務だからみなさん行きましょうね」みたいなことが書いてあった。(微妙だな)

国民的アイドルグループのN(君)は、数年前に入会した。その時の(信濃町で行われた)入会記念勤行会の警備を担当した幹部から直接聞いた。N(君)は、

「歌って、踊れる学会員になります!」と宣言したとのこと。ただ、このグループの学会員説は主にK.Tである。ネットでもN(君)の話は一切ない。う~ん、どうなんだろう。

関西のお笑いDTは有名である。
特にMについては、お母さんが会館で体験発表(10年ほど前)した原稿がネットでアップされている。(絶対探せない場所にあるし、敢えてリンクはしない)
そこにはMが小学生の頃、足の癌になって題目で治し、所属事務所Yに入るまでの10年以上毎日一時間の題目を欠かさなかったという。その辺りの裏づけはMの著書でも明らかになっている。
世間では何故か“Mは違う、お母さんだけ”となっているが、(当然Mは今やってはいないだろうが)学会の籍は残っているだろう。そのお母さんの原稿の最後で相方のHは現在男子部の班長で頑張っていらしい、と締めくくっている。

現在、若い女優でもの凄い人気のU.Aについても、「会合にも顔を出すし、頑張っている」という噂や、その逆である、と二通りの情報がある。
前出のDTの音楽番組にU.Aと高橋ジョージ夫妻(これは有名)が一緒に出たときに、高橋が「正月に僕ら家族とU家族でご飯を食べまして・・・・・・まさに座談会ですわ」と話していた内容がOAされた。DTが意味ありげな笑いをしていたのが印象的だった。(座談会は学会の会合の名前である)

(続く)

創価学会の芸能人(有名人)①



『権威主義』という言葉を辞書で調べると、

「権威を絶対的なものとして重視する考え方。権威をたてにとって思考・行動したり、権威に対して盲目的に服従したりする態度」

となっている。

誰かに何かしら興味を抱かせる場合、「○○(有名人)さんもやっているんだよ」とか「(政治家や公的機関の)○○がお墨付きを与えたんだよ」とか・・・・・・つまり権威ある何かがある程度認めたということで、その案件の価値を高めるということだ。これはビジネス世界しかり、僕ら日常生活や社会生活に(程度の違いこそあれ)深く関わっているし、浸透している。朝日、読売といった大新聞や、在京キー局で報道されれば、誰しもがその内容を(これも程度の違いこそあれ)盲目的に信じてしまう、ということもあるだろう。

学会についてもそれは言えることである。そこでよく出てくるのが「学会芸能人」とか「学会有名人」といった存在だ。
これは外部に対する場合でも、内部に対する場合でも(良いか悪いかは別にして)よく利用されている節がある。
僕自身そういった権威主義に対してそれほど興味を抱かない人間で、「へえ~」とか「ふんん」とかにしか思わない。学会員の人口が8%前後であれば、(統計学的に)芸能界は当然のこと、警察、弁護士、教員、サービス業、医者、サラリーマン等、あらゆる世界にその割合の学会員がいて当然である。当たり前だ。


噂話やネットでも真偽の程が分からない情報が氾濫している。内部でさえもそうだ。
で、結論としてこうなる。

①外部の人が外部の人から聞く、“誰々って学会員らしいよ”の信憑性は30%

②外部の人が内部(学会員で活動家か否かは問わず)から聞く、“誰々って学会員なんだよ”の信憑性は50%


③内部の人が内部から聞く、“誰々って学会員なんだよ”の信憑性は60%

④内部の人が内部(芸術部員)から聞く、“誰々って学会員なんだよ”の信憑性は70%

じゃあ、ネットの情報は?となると①から④の情報が混合されるから50%を少し越すくらいだろうか。

(詳しく続く)

アムウェイと創価学会 (最後)

アムウェイと創価学会(最後)


 そして一年近くが経った。高原がある日、ため息をついて電話をかけてきたのだ。数日後、高原の家に行くと(結婚して奥さんになった)美恵子さんと高原が詳しい話をしてくれた。

木村はしばらくは頑張って働いていたらしい。しかし、自分の時間を大事にしたいからとか言って、規定の労働時間を越えて働くことにしばしば異を唱えだしたという。翌日の仕込みが沢山残っていても、営業時間を終えて調理場を片つけるとさっさと帰ってしまったり、挙句の果てには、遅刻欠勤が目立つ様になった。

で、木村は高原にはっきりとこう言ったらしい。

「この店にいても先が見えている。自分にとって役立たないし、将来のためにもならない。だから辞める」

更に木村はこうも言った。
「辞めるにあたって、この会社で社員として有給休暇がなかった。僕が働いた年月で計算すると15万になる。それを支払って欲しい。」

高原に言わせるとこうだ。週休二日で、更に暇な日や人手が多い日は木村を休ませていたらしい。余裕があれば昼や夕方で上がらせてあげることもしばしあった。そういうのが有給にあたるとこちらも向こうも認識していた。ボーナスも出したし、正直言ってこういうサービス業で、料理の世界で、なんといっても木村のスキルにしては破格の給料を上げていたと思う。
僕もそういう世界にいた人間として、高原の言い分はごくまっとうだ、と思った。


僕は高原に言った。「あんな奴紹介して悪かったな」
「いやいや、当時は本当に人手がいなくてね。木村君はしばらく頑張ってくれたし、むしろあの時の店を救ってくれたんだから、紹介してくれたオマエにも感謝しているよ」

最後に木村は高原にこうも言ったのだ。
「払ってもらわなかったら裁判起こしますよ・・・・・・裁判


「裁判だって?」と僕は驚いて高原に言った。
「そう・・・・・・裁判起こすってさ」
「起こすわけないじゃないか。」
「・・・・・・そんなこと分かってるよ」と高原は複雑な笑みを浮かべた。


 一ヵ月後に突然木村から僕に来たのは電話ではなく、こんな短いメールのみだった。

『こんばんは。お元気ですか。実は訳あって「たかちゃん」を辞めることになりました。一年五ヶ月の短い期間でしたが、職場を紹介してくれたHさん(僕)には感謝してます。ありがとうございました。では』

彼が辞めるにあたって起きた諸問題を実は僕が知っているとは彼はきっと知らないのだろう。僕は行き場のない深いため息をついた。


 あれから数年が経つ。木村と最後に会ったのは、僕がブチ切れた居酒屋だった。
振り返ってみれば、結局は僕も木村も似たり寄ったりだったのかもしれない。当時は全く学会活動はしていなかったし、祈ってもいなかった。ただ、木村という人間に同情しつつ、ある種救いたいと思いながらも、どこかでアムウェイを通して相手に食い込み、安易に折伏できればいいと、思った僕の浅はかでいやらしい心情があったのだ。同じく木村も学会を通して僕に食い込み、アムウェイをやらせたいという思いも明らかにあった。ここまでいくとただの“バーター取引き”だ。醜い。後悔している。むしろ木村の方が純真だったのかもしれない。愚かなのは自分のほうだった。しかし僕が彼に徹底的に仏法対話しなかった理由に、コイツを入れさせたら学会内の人脈を利用して絶対アムウェイをやるだろうな、という確信だった。それは防がなくてはならなかった。

“受けたは忘れず、かけたは流す”これが僕のささやかな心情である。
しかし、就職先を紹介してもらいながらも、木村の僕の友人の高原に対する理不尽な言動と、僕に対して無自覚な仕打ちをしたことに、怒りよりも哀れさを感じる。僕と高原の関係に影響がなかったとは言えない。木村を通して僕らの間に見えない傷が出来てしまったことは事実だ。

よかったことといえば、木村との件を通して、こういう類の話(勧誘とか折伏とか)を客観的にみることが出来ることだった。アムウェイはもう関係ないにしても、学会とアムウェイを重ねることによって、僕らが人間として根本的に忘れてはいけないことを学ぶことが出来た。そしてそれはその後の信仰生活に大きく生かされていると(少なからず)確信している。

 村上春樹の短編に『沈黙』というのがある。学校でのいじめを題材にしていて、近年では教科書にも収められている。最後にこんな文章がある。

『彼らは自分が何か間違ったことをしているんじゃないかなんて、これっぽっちも、ちらっとでも考えたりはしないんです。自分が誰かを無意味に、決定的につけているかもしれないなんていうことに思い当たりもしないような連中です』


冒頭で紹介した、先日、数年ぶりに木村から来た突然のメールを想い出すたびに、僕の気持ちは暗くなり、言いようのない哀しみが僕を包む。

『覚えてますか? 木村です。今はどうされているのですか? Hさん(僕のこと)ならどんな分野でも成功すると思います。・・・・・・』

何処かで彼は今でも夢想しているのだ。いつか僕と共にアムウェイで成功し、ベンツに乗って夜の東京の街を疾走する自分の姿を。(了)

アムウェイと創価学会⑤

アムウェイと創価学会⑤


 
木村は会社を辞めた後、アルバイト生活をしていた。アルバイトは彼が選んだ道だった。アムウェイに時間を割き、存分にやるにはアルバイトが一番なのだと、彼は言う。しかし、彼と色々会っているその間にもそのアルバイトさえも数回変えていた。

「あのさあ、アルバイトもいいけど、就職してしっかり生活を安定させて、その中でアムウェイをやって、軌道に乗ってからアルバイトにしてもいいんじゃない?」と僕は時折そう言った。実際のところは彼も悩んでいたのだ。一人暮らしのため生活費、家賃だって現実大変だった。


 話は変わるが、僕の高校時代からの親友の高原(仮名)の実家は割烹を経営していたが、改装して創作居酒屋にし、高原自身が経営者になった。社長だ。婚約者の美恵子さん(仮名)も店を手伝っていた。

ある日、その店「たかちゃん」(仮名)に木村を連れて行った。僕は高原と美恵子さんに木村を紹介し、営業が終わった店で4人で飲んでいた。
しばらくしてから美恵子さんが突然木村のバッグを見ながら言った。
「あのぉ、それアムウェイですか?」
木村の口が開いたバッグの上からアムウェイの商品カタログが飛び出していたのだ。
木村は「ええ、そうです」と言って、カタログを取り出した。
「木村さんはアムウェイやってるんですか?」美恵子さんが興味深そうに訊いた。
「ええ」
「ええっ!!! 本当ですか。私達もやってるんです
私達????」と僕は高原と美恵子さんを見ながら声を上げた。
「ああ、そうだよ」と高原が笑って答えた。

こういうことだ。美恵子さんは昔からアムウェイをやっていた。高原と付き合い始めてアムウェイを勧めた。高原もえらくアムウェイビジネスに感銘し、一緒にやる様になった。僕と高原とは仲が良く、しょっちゅう会っていたが初耳だった。そして木村と僕の関係も説明し、アムウェイに関する一連の動きを話した。
高原は訊いた。「そうなんだあ。で、H(僕)はどんな印象なんだ? アムウェイは」
美恵子さんもいる手前、僕は「印象はさほど悪くない。商品も悪くない。システムも悪くない。ただ、それを人に勧めてどうのこうのするのは現時点ではやらないと思う。色々忙しいし・・・・・・商品を使って心底納得して、心から誰かに勧めたいと思えば、いつかはやるかもしれない」と言った。
喜んでいたのは木村だった。出会った人が同じくアムウェイをやっていたのだから。そしてその人間が僕の友人なのだから。こりゃ、参ったなあ、と僕は思った。
その夜の流れはもう決まっていた。木村と高原と美恵子さんの三人が、僕に陶等とアムウェイを一緒にやろうよ、と説得したのだ。三人はすっかり仲良くなっていた。アムウェイ繋がりで。

当時、高原の店「たかちゃん」は調理場の人間が相次いで辞めてしまい人手不足だった。木村が昔そこそこ有名な店で板前として働いていて、そこそこ料理が出来ることを知っていたので、高原に木村を改めて紹介した。木村の生活が安定していなかったのも心配だったし、高原の店も喉から手が出るくらい(ちゃんと料理の出来る)調理人を必要としていた。話は早かった。木村もアムウェイをやっている人の職場なら喜んで入った。高原のほうもそうだった。給料は(きっと)木村がこれまでの人生で貰った額の中で一番高かった。30万近くで週休二日だった。

念のために最初は研修期間を設けたので、少ししてから僕は心配になって高原に言った。木村が仕事の面ではいささか問題がある点だ。
「アムウェイで仲良くなったのはいいけど注意しろよ。もし使えなかったり問題があったら社員になる前に切ってもいいからな。その辺はアムウェイとは別だし、木村にはよく言っておく。ちゃんとやれよ、ってな」
「ああ、分かった。でも彼、凄くよくやってくれてるよ。頼りになるし、頑張ってるよ」と高原は満足そうに言った。数ヶ月後には(それまでの料理長が辞めたせいもあるけど)木村は料理長になった。


木村が店に入って朝から夜遅くまで働く様になって忙しくなり、アムウェイは鳴りを潜めた。木村自身も現実の世界で地に足をつけて働くことに充実している様だった。たまに友人なんかを店に連れて行くと、僕は木村に声を掛けた。
「頑張ってるか?」
「はい」
「Hさん(僕)のおかげで楽しく働いてます。高原さん達もとてもいい人ですし・・・・・・」

実際には、高原と美恵子さんは、木村のいないところで僕と話すときは一切アムウェイのことは言わなかった。高原自身が僕という人間がそういうことを一番やらないことを知っているからだ。彼らはちゃんと分かっていたのだ。


数ヶ月して4人で飲むことになった。自然とアムウェイの話になった。
木村が言った。
「アムウェイはどうですか? 考えてくれました?」
まだ木村のアムウェイ熱はそれほど冷めてはいなかったらしい。
僕は最初三人に言った様に、商品は悪くない、ただそれをビジネス展開しようとは現時点では思わない。いつか気が向いたらやるかもそれない、と言った。
それから木村は酒が回ったのか次第に語尾を荒げた。高原と美恵子さんは黙って聞いていた。

「僕はHさん(僕)にやってもらいたいんです。こんな最高なシステムどこにもないですよ。やんなきゃです。絶対にやるべきです。」
「まあまあ、やるやらないは俺が判断することだ」
「なんでですか・・・僕がここまで言ってるんですよ! 信じてくださいよ
「ちょっと冷静になれよ」
一体、コイツはなんなんだ、と僕は思った。怒りと悲しみの様なものが次第にこみ上げてきたのだ。
彼は一層声を荒げた。「アムウェイは絶対成功するんです。やんなきゃもったいないです。・・・やらないなんて・・・・・・馬鹿ですよ・・・」

ばかあああ?? 僕もとうとうブチ切れてこう言い放った。

「あのよぉ、いいか? やるやらないは俺、俺が判断するんだよ。じゃあ、言ってやるよ・・・俺がやらないとオマエが困るんだろ? この俺が頑張んないと自分が成功できないからそう言うんだろ? 儲かんないんだろ?・・・・・・結局、オマエにとって俺は金づるなんだろ?・・・カネヅル

テーブルには一斉に尖った静寂が舞い降りた。高原と美恵子さんは申し訳なさそうに僕を眺めていた。木村はグラスに残ったビールを一気に飲み干した。僕が黙ってテーブルを立つと、三人も続くように会話もなく店を出た。

それから高原の店には行くことはなかった。幸い高原との仲には全く影響はなかったけれど、高原と美恵子さんは二度とアムウェイの話を僕にしなくなった。

(続く)

アムウェイと創価学会④

アムウェイと創価学会④ 


 
喫茶店で雑談をしている時に考えていたことは、これまで木村がアムウェイについて語ったレトリックや今日のラリーが、学会の折伏のそれとピタリと符号することだった。可笑しくて笑いそうになった。
特にラリーの内容、構成等は学会のセミナーそっくりだった。興味ある事例で相手の意識を引き寄せ、いくつかの体験談発表があり、最後に大物(幹部)が出てきて話す。

会話が途切れたときに僕は言った。
「実はね・・・・・・俺、信仰やってるんだよ・・・・・・創価学会ね・・・・・・」
「・・・創価学会?・・・」
彼は幾分驚いた様子だったが、話してみると学会についてはあまり詳しくはなかった。公明党を支持していることと、池田大作という名前くらいだった。

僕はあらゆる観点で学会について語った。日蓮大聖人、仏教、歴史、平和、ご本尊、そして自身の信仰体験。
「オマエもやらないか?」ということは一切言わなかったが、目の前にいる僕という人間がその様な思想と信仰と哲学を持って生きているんだということを明かした。
彼は興味深そうに聞いていたが、時折、居心地の悪い表情を見せた。
僕は、彼を絶対折伏しようという意識まではなかったが、とことん話してみる価値はある。そして話せる状況でもある。(いやらしいが)これでイーブンになったのだ。

正直、僕がこれまで見てきた彼の言動、アムウェイそのものについて、そして今日のラリーの内容とそこにいる人間達の表情にある種の同情を禁じえなかった。
色あせて見え、例えていうなら、あらゆる最高の料理を食べつくした人間に向かって、ファミリーレストランのハンバーグがいかに美味しくて、最高で、究極の料理であるかを熱心に説いてる、そんな風に感じたのだ。
僕はその辺りを言葉を選んで、柔らかく言った。こんな内容だ。

幸福の種類は様々だ。価値観も違う。でも優劣はある。君の言っている全てが相対的幸福に過ぎない。金持ちになることは否定しない。でもそれだけじゃない。絶対的な幸福というものがある。僕らはそれを持っているし、それを生み出す術も知っている。高い次元であらゆる種の幸福を内包したものを持っている。そこには簡単に相対的幸福を生み出す(現世利益、つまり金持ちになることも夢を叶えることも)可能性も十分過ぎるほど兼ね備えてある。いや、簡単だ。そういうものを僕は肉体と生命に刻んで生きている。熱心にここまでアムウェイを勧めてくれて申し訳ないが、君の言っていることは、車の免許を持って既に車を購入して運転している人間に対して、「ねえ、Hさん(僕)、知ってました? 遠い距離を移動するのに自転車という乗り物があると便利ですよ」と言っている様なものだよ。

彼の顔は次第に厳しくなり、みるみる険しくなった。(当たり前だ。それが狙いなのだから)
彼は自分が最高の生き方だと自負していたものが否定されたことに腹を立てているのではい。自分の選んだ道が価値的にレベルの低いものだと断言されたことなのだ。

彼はきっとそこで敢えて言う必要があったのだろう。
「僕は・・・・・・学会やりませんよ

(まあ、現時点ではそう言うだろうな、フフフ)

結局、しこりを残したままお互いは別れ、次に彼はどう出るか楽しみだった。

しばらくして何かの折に飲んだときに、彼はテーブルに一冊の本を出した。それは(池田)先生の著書だった。
彼は驚くほど感動した様子で話し始めた。
「いやあ、この前、Hさんが創価学会だということで、興味があって池田さんの本買って早速読んだんですよ・・・凄いですねえ、この方。感動しました。書いてあることが素晴らしいです。」

僕だって馬鹿じゃない。そんなもの瞬時に悟ったのだ。つまり彼は、僕という人間の懐に食い込み、アムウェイをやって欲しいが為の行為なのだ。

僕は言ってみた。「じゃあ、(学会)やってみる価値あるぜ! やろうよ
「いや、それは別です。やりません」と彼はピシャリと言った。

僕はむしろアムウェイを否定しているのではなかった。問題は彼自身だった。彼は数年間のアムウェイ人生で大した結果を出していなかった。利益なんてなかった。そしてアムウェイを勧め、ガンガンにやってくれそうな人間は周りには殆どいなかった。単に友人が少ないというのもあるのだろう。以前、仕事関係で彼の仕事ぶりを見て感じたのは、彼はアムウェイという既成のシステムの中でさえも成功しないだろう、ということだ。現実として彼には最後の砦として僕しかいなかったのだ。僕という人間がアムウェイでガンガンやって多くの子分を作ってくれて利益を生み出さないと、彼の描く設計図は完成できないのだ。焦りと必死さが滲みでればでるほど、僕はアムウェイなんかよりも、彼という人間そのものに興味がなくなっていった。

そして物事は奇妙な方向へ、同時に最悪の方向に向かっていく。

アムウェイと創価学会③

アムウェイと創価学会③

 
 アムウェイの本社ビルは渋谷から歩いて15分ほどの所にあった。やけにばか高いビルで、一階はホテルのロビーみたいだった。平日の夜にも関わらず数百人はいたと思う。20代か30代が殆どで、(想像と違って以外にも)お洒落で都会的な人が多かった。

ラリーは地下にある体育館の3分の1程のホールで行われた。司会者がラリーのスタートを告げると、一人の若者が出てきて、アムウェイ洗剤のデモンストレーションを行った。市販の洗剤と比較して、いかにアムウェイ洗剤がよく汚れを落とすかを説明した。殆ど、ジャパネットたかたの世界だった。

次に出てきた人がアムウェイビジネスの説明をし、儲け話(?)のシステムをホワイトボードを使って説明した。

最後には、“超稼いでる”人が登場し、アムウェイに出会う前の自分と、それ以降の自分の人生がどれだけ変貌したかを語った。年収がどれくらいになったとか、海外旅行(南の島)で撮った写真を見せびらかしたりもした。

会場にいる人間の目は真剣そのものだった。熱心にメモを取る人もいた。彼らは壇上の“稼いでいる”人に対して強烈過ぎるくらいの羨望のまなざしを向けていたのだ。


一時間半くらいでラリーは終わった。僕はぐったりと疲れていた。時折、熟睡していた。当たり前だが、僕は一切何も感じなかった。何も。

壇上に登場した人が言っていたことは概ねアムウェイに対する感謝と、

①会社や仕事でどんなに頑張っても給料なんかたかが知れている。収入を増やそうと頑張れば頑張るほど、忙しくなって自分の時間がなくなる。
②夢や、やりたいことには、時間の余裕とお金が必要。
③アムウェイビジネスで、他人の体を健康にさせてあげた上に人生も豊かにさせてあげる。同時に自分の人生も豊かになる。こんな素晴らしい理念を具現化しているのはアムウェイだけ。

つまり幸せはお金で買える。(当時の)ホリエモンじゃないけど、幸せはお金で買えるんだ、と。でも断言できる。そこにいる誰もが“諦め”の人間だった。そう、彼ら(彼女ら)はホリエモンになる勇気さえも、努力さえも放棄した人間ばかりだった。


会場を出ると木村は聞いてきた。
「どうでしたか?」

僕はきっぱりと言った。
「・・・・・・疲れたな・・・・・・」

(まあ、そろそろ学会宣言してもいいか。ニヤリ

それから僕らは喫茶店に向かった。
(続く)

アムウェイと創価学会②

 アムウェイと創価学会②

彼は持ってきていたパンフレットを出し、商品の説明になった。
概要はこうである。
①そこに含まれている成分やら、製造されている環境と過程を説明し、その製品がいかに(他社と比べて)良いものであるか。
②一般の健康食品の様に多大な広告宣伝費を使っていない。こうして人から人に伝えているので、結果、商品の価格がかなり抑えられる。つまり安い

で、とりあえず使ってみてください、と言う。
「そう言うなら、まずくれよ」と僕。
「・・・・・・こういうのは自分で買って、使って、効力を知って、実感できるものですから・・・・・・」
(なんのこっちゃ・・・ケチだなあ・・・人一人勧誘するのに数千円の身銭を切るくらいの覚悟もないのかよ・・・ったく)
結局彼はその場でキュープラスという総合栄養サプリメントを3錠くれ、僕はその場で飲んでみた。

数分後・・・不意に僕の鼻から鮮血が・・・・・・鼻血!!。
彼は得意げに言った。
「ほらっ・・・それだけ効いてるんですよ
「・・・・・・・・・・」


数日後、彼と会ったときに今度はこんな話をした。
「商品がいいのは当たり前で、それを使って健康になる、という話だけをHさん(僕)にしてるわけじゃないんです。つまり・・・・・・これはビジネスとして展開できるんです・・・」

(キターーーー!きゃあああー!!!)

それからアムウェイビジネスモデルの話になった。概要はこうである。

①商品を使ってその商品が良いと実感できれば、友人・知人に勧めたくなる。で、その友人・知人が更に誰かに勧めてネットワークが出来る。
②アムウェイは一般媒体で宣伝費を使っていないが、誰かに紹介して、その誰かが買った金額に応じてポイント(PV)がつき、それを紹介者が受け取れる。ネットワークが大きくなって、動いた金額が大きいほどPVも大きくなる。
③つまり副業として頑張れば、ある程度安定した収入が入る。

やりませんか? 一緒に」と彼は満面の笑みで言った。

僕はこの時点で学会宣言とニュースキンを以前若干かじっていたことは言っていなかった。彼は更にビジネスとその展望と夢について熱く語った。
それは権威主義と誇大妄想にまみれていた。アムウェイが本国アメリカでどれだけ評価されてる会社か(レーガンやらといった大物政治家の名前やら、米国商工会議所のトップをアムウェイの誰々がつとめているとか)、日本ではとんねるずやら、芸能人の誰々がやっているとか(ホンマかいな)、彼にとって僕が人生の中でいかに大事で、いかに重要で、何より一緒に成功したい“友”であるか・・・・・・云々。

彼は尚一層興奮して、このアムウェイビジネスで成功した人の事例を紹介する。
年収がだとか、アムウェイからご褒美として招待される海外旅行がいかに豪勢で素晴らしいか・・・

つまり彼の結論は、をつかむには時間の余裕とお金が必要である。それにはアムウェイビジネスが最適であると。

彼は断言する。
「僕は二年後には年収が幾ら幾らになって・・・四年後にはベンツ乗ってるんです。」

そして最後にこう言った。
「今度、アムウェイの会みたいのがあるんです。ラリーというんですけど、渋谷の本社ビルでやるんです。行きませんか?」

ここまで来たらもっと面白ろそうだな。ニヤリ
「ああ、いいよ」

(続く)

アムウェイと創価学会①

アムウェイと創価学会①


 先日、こんなメールがきた。
「覚えてますか? ○○です。今はどうされているのですか? Hさん(僕のこと)ならどんな分野でも成功すると思います。また、時間がありましたら美味しいものでも食べにいきましょう」

送信主の木村君(仮名)は、僕より歳は二つくらい下で、5年程前に仕事関係で知り合った。偶然にもお互いが若いときに共に料理の世界にいた、ということもあり、話しがあうせうか、割りに仲良くなった。僕を慕ってくれていたし、波長があうというか、飲みに行ったりと個人的に付き合う様になった。彼はいい奴で、人生についてしっかり考えている、基本的に真面目な男だ。ただ、幾分頑固なところがあり、いささか癖のある性格で、ある種の人にとっては全く受け付けないタイプの人間だ。自己啓発の類の本を好んで読み、時折、他人にそれをあたかも自分の経験で会得した様に話てしまう。

そういう彼の最も問題な部分は、人生についての哲学、成功法的な理論で頭はパンクしているのに、行動を含めた彼の“現状”と“実相”が全く相反しているということだった。成功とか幸せに向かう為の方法論に満足してしまって、もはやその方向にすらつま先が向いていない、ということだった。

折伏しようかな、と思った矢先に彼は訳あって会社を辞めた。今から三年ほど前の話だ。すぐに電話が来た。
「今度、飲みません?」

飲み屋でしばらく世間話をした後、彼はこう切り出した。
「Hさん(僕)、Hさんはとかあります?」
「夢?」と僕は驚いて訊いた。
「夢です。この仕事このまま続けるんですか?~云々~」
(なんだ、なんだ?)

しばらくして彼は改まった口調で言った。

「実は・・・・・・僕・・・・・・アムウェイやってるんです。アムウェイって知ってます?」

僕の悪いところであり、勘の鋭さと計算高い部分である。0.1秒くらいの瞬時の速さで、何故彼がこれまで僕を慕ってくれ、接点を沢山もつ様にと連絡をよこしたか、そして今後の彼との人間関係の中で繰り広げられるドラマ(みたいなもの)、全てを完璧なまでに見通した。そこに好奇心も加わったのだ。
(面白くなりそうだ。ニヤリ

僕は言った。
「いや・・・・・・あまり知らないんだ

僕が20歳のときに、その時いた職場でニュー・スキンが流行った。いわゆるアムウェイと同類のネットワークビジネスだ。サプリメントなどの健康食品や化粧品等を知人、友人に売って利益の一部を得、更にその知人、友人がまた他の誰かに売り、ネットワークが出来れば、上位のものが大きな利益を得る。まあ、ねずみ講ってやつだ。

そういう話が来ると、まず僕の中ですぐに“NO”という結論が出る。しかし元来好奇心が旺盛なのか、そういう世界に浸る人間達が一体どういう思考性と行動規範(みたいなもの)で生きているのか興味がある。よほど危険でない限り、扉を開けるタイプなのだ。
ニュー・スキンの本社は新宿西口の高層ビルのワンフロアだった。 “なんとかダイアモンド”とかいう沢山儲けている人の話やらを聞き、勧誘にあった。まず、商品は絶対ただで貰った。使ってみたが悪くはなかった。ただ、それまでである。
ニュースキン以外にも「回帰水」やら「CSのテレビ局を立ち上げるから出資してくれ、利益を分配する」といった話にも聞きに行った。まあ、何もしなかったけど

だからそういう類の話は、実は前出の木村よりも詳しいし、(インターネットなんかない時代だったけど)裏も表も知り尽くしていた

飲み屋で木村は続けて言った。
「これなんです」

取り出したものは10センチくらいのプラスチックケースで、そこにはどっさりとサプリメントが入っていた。

何? それ」と僕はものすごおおおく興味津々に訊いてみた。

(続く)

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かいつぶり

Author:かいつぶり
職業 マスコミ

趣味 読書、楽器、小説を書く、料理、音楽

好きな食べ物・・・スイーツと酸味の少ないコーヒー、美味しいフランス料理と美味しいワイン。それさえあれば至福の時

好きな音楽 70年代のソウルミュージック。80年代前半の西海岸サウンド。あとジャズや、山下達郎周辺

好きな作家 ドストエフスキー、カポーティ、アーヴィング、ヴォネガット 

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