それでも生きていく為に・・・

音楽、料理、小説、時々、創価学会

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本当は何の為に?



 
 久しぶりの更新だけれど、本当は安保関連法案について書こうと思った。しかし、記事にするつもりで書き溜めてあったものがあったので、それを今回は記事にします。

 内部の知り合いの婦人部・白百合長のAさんが去年の後半から発心して今も頑張っている。
地区に越してきた未活動家の年下の部員Bさん(女性)の面倒も積極的にみて、去年の任用試験の受験の決意もしてもらい、合格責任者として勉強会に一緒に参加。 ”Bさんが合格する様に、人材に育つ様に”と祈り、結果、合格して大歓喜していた。素晴らしい。Bさんは悩みが色々あり、教学試験や徐々に参加し始めた会合を通して信心で解決しようと僅かながら前進、発心した様だった。

さて、激励、家庭訪問、そして信心指導は、”最終的に本人がお題目をあげれる様に、仏壇の前に座れる様に持っていくべきである”といわれる。先生のことを語っても、自らの体験を語っても、ただただ悩みを聞いてあげるだけでも、会合に参加してもらおうと通っても、それらを縁や契機として、相手自身が”よし、お題目に挑戦しよう”とか”きちんと朝晩の勤行をしよう”とか、”今よりもっと沢山お題目をあげよう”と決意して、実際に自ら仏壇の前に座る様にもっていかないとあまり意味がないのだ。

前出のAさんと部員Bさんの件でいえば、任用試験合格後はそれぞれが忙しくなり、あまり接点がなくなってしまった様だった。2人はつい最近久しぶりに会い、Bさんに状況を聞くと、あまり勤行も出来ていないということだった。それを聞いてAは「なんかちょっと悲しかった」と僕に言っていた。
多分だけれど、Aは一生懸命に激励し、一緒に勉強し、Bさんが合格して喜び、Bさん自身も活動を通して変わり元気になっていったのでもう大丈夫だと思ったが、時間が経ち”今はあまり勤行していない”という答えに”あそこまでやったのに、なんだったのだろう”という想いがあったのだろう。そしてため息をついてこう続けた。 

「結局、自分の自己満足だったのかな?」
と。

Aが、Bさんを受験させて合格させる責務を組織から与えられたことを達成できたという喜びによる自己満足もあっただろうが、その自己満足は実は間違ってはいない、正しい自己満足なのだ。満足して喜んだのだからOKだし、喜ぶ為にやっているのだからOKだ。Bさんだって勉強・合格して喜んだのだから『喜とは自他共に喜ぶ事なり』ともある。しかし、僕がAに「なんだかんだと本人が仏壇に座る様に持っていかなくてはいけなかったんじゃない?」という話に対して「そう、(反省して)今度から時間を作って一緒にお題目をあげることにしたの」と言っていた。

部員さんとの関わりや激励は、活動や組織や先生に近づけることも重要だけれど、結局のところは相手をご本尊により近づける為にあるのだ、ということを基本においていかないといけない。青年部を卒業して2年経つけど、当時を反省して書いておこう。
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目標を掲げることの意味


 今の時期は、地区でも男子部でも女子部でも今年の目標を細かく決めていると思う。皆で自由に意見を言い合い、討議し、納得のいく気持ちよく戦える目標なら良いが、闘いが込み入ってきたり、本格化すると、組織側から“いついつまで、これだけやりましょう”という目標がおりてくる。
特に○戦になったりすると大変で、その目標に対して実際どうだったのか、しょっちゅう細かい報告があり、幹部になると愚痴と文句の一つでも出てしまうかもしれない。

3・16まで、5・3まで、11・18まで・・・・・・一年間も細分化され、各日付までの目標を掲げるときもある。
学会組織が何故、様々な闘いにおいて常に細かい期間で、細かい内容で、細かい目標を掲げるのか、疑問に思っている活動家も多いのではないだろうか。その根拠になっている一つに仏教の『化城宝処の譬え』がある。

『宝処を志して遠路を旅しながら、途中で疲れ果てて旅を断念しようとする人々に対し、導師が神通力で一つの城をつくり、これが目的地であるといって人々を励まします。そして、城で休息し、そこが目的地であると思っている人々に対し、導師はこの城は目的地ではなく、一時の休息のための化城であり、真実の目的地である宝処は近いと励まして、ついに長途の旅を成功させます。』(以上引用)

長く険しく果てしない旅。目的地がなかなか見えない中で人々から「まだ到着しないんですか?」とか「疲れましたぁ~」とか「お腹すきましたぁ~」とか言う声があがる。そこで導師は少し先に幻の城を出現させ「あそこが目的地だ。着いたら休憩しよう。温泉もあるし、美味しい食事もあるぞ!」と。それを聞いて人々は喜び、元気なり頑張って歩く。城で鋭気を養うと幻の城は消え再び旅が始まる。これを繰り返すのだ。

活動で「今年中に一人ご本尊流布しましょう」という目標をたてても、誰もすぐに対話に動かないだろう。だから「今月は5人の友人と遊びましょう」とか、「3・16までに会合に最低一人誘いましょう」とか、そういう目標を掲げる。ダイエットだって、夏まで10kg痩せようと目標をたてても成功しないだろう。10Kg痩せる為にまず今月中にマイナス2Kgを目指して間食を無くすとか。そういう目標設定をしないと成功しない。

信心においては、凡夫の我らが信心を絶えず続けていくためには、遠い先の目標ではなく、近い期日に目標を掲げそれを実行していく積み重ねが必要なのだ。会合で「皆さん、お互い一生のうちに宿命転換できればいいですね。それを目指してまあなんとか頑張りましょう」と言い合ったところで誰がそこで決意、行動できるのだろうか。「今日より決意新たに○○までに残り僅かですが、○○を達成していきましょう」とやるから心と身体が広布へ向かうのだ。


 創立80周年を迎えた後、学会は2030年(20年後)を目指して動き始めた。しかしそれを先生に報告すると、先生は「20年後ではあまりに遠すぎる。ダメだ」と却下され、総本部完成(2013・11・18)を目指した闘いに急遽変更された。

闘いや期日や目標やある種のノルマに追われて疲れている学会員は多いかと思うが、この難しい信心を続けていく為に、そして先生が我々に功徳を積んでこの信心で幸せになってもらいたい為に、それらは全て理にかなったこととして、根拠があり理由のあるものなのである。


(化城宝処の譬えでは、化城は、真実の教え(一仏乗)に至るまでの仮りの教えとか、方便とか、現世利益とかいう意味合いもあります。様々な活動や一つ一つの闘いは、この信心で功徳を積んだり、幸せになるための方便でもあります。病気が治った、就職できた、経済革命した、とかいった現世利益も、体験を積んで信心を続ける力を得たり、一生成仏という、あるいは絶対的幸福境涯の確立の為という観点では所詮は化城なのかもしれません。)

役職は恐いんです。

 本部長の癖に活動を一ヶ月お休みしてました、と前回書いていたので、今回の内容は説得力ないかもしれません。すみません。

 だいぶ前のこと(男子部時代)だけれど、僕を中心とするある日の部長会の時、一人の部長のA君が開始時間になっても来ないので連絡したら「すみません。忘れてました。今、友達と会っています」という返事がきた。しょうがなく彼抜きで部長会を行った。

丁度節目の時期で、その部長会は新しい闘いの打ち出しがあるとても大事な会合だった。A君が来ないとA君の部のメンバーに内容が伝わらない。だから、後で僕の方からA君に都合の良い日を聞いて、後日、一対一で部長会の内容を伝えた。

A君の件は事例として書いただけで、彼を責めている訳ではない。A君が自分からすぐに個別に改めて部長会を開いて欲しいと僕に打診していれば問題ないし、部長会がどうしても出られないのなら代役をたてるべきだった。そうすれば良かっただけの話で、会合に絶対で出なければいけないとか、友人と会うな、とかいうことではない。しかし、A君は当初“あっ、忘れちゃった。まあ、しょうがないか。別にいいや”という感じだった。自分の部の広布の流れを、部長の立場で、意図的に止めてしまっていたのだ。

先生は役職というものについて「君達が思っている何万倍、何億倍、恐いんだよ。だから、そう簡単に役職を受けてはいけないんだよ。創価学会でこれまで役職をまっとうした人は誰一人いないんだよ」と仰る。
恐いというのは、要するに罰(ばち)であり、積んでしまう業である。広布の大事な使命を持った役職やその責務を逆に軽んじたり、ないがしろにしたり、いい加減にやってしまうというのはとても恐いということである。それは信心そのものや戸田先生が仰った「戸田の命よりも大事な創価学会」をバカにすることと同じなのだ。どんな役職問わずでもである。全国幹部でもブロック幹部でも新聞配達でも会館の警備や清掃でも未来部の担当者でも全部同様である。


 昔、ある役職の話しがあり、悩んでいたので先輩数人に相談・指導を受けた。殆んどが「受けるべき」だった。何故なら「役職は断ってはいけない」と一般的に教えられていたからだ。当然、間違いではない。でも、(記憶では)当時、すでにあまりに多くの役職を兼務していて物理的に厳しい状況だったし、その役職を受けたとしてもきちんと遂行できないのではと危惧していた。
一人だけ「○○君(僕)がその役職を受けてもあんまりきちんとできないだろうな、とか、いい加減になってしまうかもしれないな、と思っているんなら断った方がいいよ。しっかり決意できるんなら受けてもいいんじゃない」と言った。一人だけ意見が違うな、何故だろう?と思ったけれど、今になってみればその理由が分かる。中途半端な気持ちで受けても後々、組織側にも迷惑をかけるし、いい加減にやれば自分が損をするよ、ということである。全部自分に罰として返ってくるよ、ということだ。更に、その罰(ばち)をその時は難や魔と勘違いすることもあるかもしれない。
役職を受けて活動していても、一念の微妙な差で実は自分を不幸にしているだけだったり、罰(ばち)までいかなくても祈って闘った割には功徳が出づらくなってしまうのだ。

先生は、特に責任の重い本部職員に対しては「功徳も大きいけど、罰も大きいよ」とも仰る。牧口先生は「罰なくして大利益があるわけがない。子を叱る力のない父が、子に幸福を与えられない」とご本尊について仰っている。
だからといってあまり役職に対してネガティブになる必要はないし、青年部の皆様は絶対断らないで受けていただきたい。

過度な罰論は必要ないと思うけど、役職についてのこういった側面については知っていても損はないと思う。

未活動家になる?



 去年の10月頃に記事にしようと思って書いておいたものを今回アップしてみる。
当時、僕は男子部の本部長だった。記事にある様に7月の法戦で悔いの無い、祈った通りの結果を出したにも関らず、燃え尽きてしまい、8月末の友好期間明けも組織に戻らなかった。戻ったのは9月末だった。

*  *  *  *  *

現役職(約2年間)で、特に去年末の法戦~と今年夏の2つの法戦において結果的に我が組織は歴史を作り、大勝利した。しかしプロセスにおいてはそれまで本当に辛くて大変で、何より組織のことで過度に多くの事を背負わなければいけなかった。役職をおりたいと率直に思ったことも2年間で何度もあった。

“こんな所まで僕がやらなくてはいけないのか!”
“僕はここまでやっているのに!”

そんな風に部長陣には叫びたかった。でも、じっと堪え、先生にお応えしたい、皆を勝たせたい・・・と、なるべく笑顔で、楽しく、朗らかに努めたが、部長の一人と衝突してしまったこともあった。しかし、恨んだり憎んだり怒ったりしては駄目だ、と愚痴と文句はご本尊に言った。(お題目をあげた) 幹部にも指導を受けた。僕の心情を理解してくれた。そして7.21を迎え、自身も組織も大勝利した。8月に入るとすぐにそれまでずっと祈ってきた、叶えたかったことが、偶然も重なって奇跡的に叶ったりもした。

「この闘いが終わったら男子部卒業ですね」とそれまで途中途中で散々言われていたのもあったし、結果も出したし、友好期間に入り・・・・もう、燃え尽き、疲れきってしまっていた。

10年前に副部長で組織に戻り、部長~そして現在・・・10年間、走り抜いてきた。
でも、ふと考えてみた。学会活動って何だろう、信心って何だろう、と。ご本尊に祈り、先生の指導を読んだ。とにかく本音でありのままの姿でご本尊にぶつかった。そして、少ししてからコンビニである本をたまたま見つけた。

(以下、引用)


『あなたはもう、十分に努力をしてきました。あなたは相手の期待に応えようと、一生懸命やってきました。あなたは自分の感情を鈍感にしてまでも、努力してきました。

もう、十分です。自分に、そう言ってあげませんか?
背負う必要のない重荷は、肩から下ろしましょう。もう何もかもが面倒くさいとなるほどに、あなたは過剰な責任を自分に押し付けてきたし、感じる必要のない罪悪感で自分を苦しめてきました。でも、もともと、あなたが背負うべきことではありませんでした。あなたが罪悪感抱くべきことでは、なかったのです。

“そうか、私は、もともと必要のない責任で、自分を苦しめてきたのか。罪悪感なんて、いらなかったのか” 
そんな風に自分に言うと、どんな気持ちがしますか?(中略)

“じゃあ、今までの自分の過去は、いったい何だったんだ。何のために、自分は頑張ってきたんだ。何のために苦しんできたんだ” 
そんな気持ちに襲われて、叫びたくなってしまうかもしれません。
もしそのとき、感情が高ぶって涙があふれるとしたら、そのまま、涙が流れるままに声を出して泣いてほしいものです。その涙はそのまま、あなたの心の癒しとなるでしょう。

もしかしたら、そのあと、いっそう動けなくなるかもしれません。もし、そうなるととしたら“そうなる必要があるんだ”と、その状況を受け入れてください。実際に、あなたがその状況から脱皮したいと望むなら、むしろそれこそが、あなたにとって貴重な時間なのです。(中略)ほんとうの自分と向き合うことを、避けて通ることはできません。』


(引用終わり)

混沌としている自分の心情が整理され、軽くなり、多くのことを気づかされてくれた。また、僕は過度な責任を、誰も僕に求めていない責任を、自らに執拗に課していたことを知った。

友好期間が明けても僕は自分と向き合う時間がしばらく必要だった。この時期は人事の件やら組織のことで事務的な動きが忙しいが、組織(幹部)はそんな僕のことを理解してくれ、別な人が代わりに動いてくれた。

その間もお題目を切らさず、約1ヶ月間の”未活動家“を経て、9月の末には何事もなかった様に再び組織にフェードインした。ふらりと久しぶりに会合に行き、「おお、久しぶり、でさ・・・○○君のことだけどさぁ~」みたいな感じである。

*  *  *  *  *

ここまでが下書きで書いていた部分である。
今になってみれば、当時は、闘いきって、あとは男子部を卒業するのを待つだけだから気が抜けてしまったんだと思う。上に書いた様に組織に戻った(去年の)9月末から卒業までの11月中盤までは再び動き、後任にしっかり引き継ぎをし、最後の最後に部員さんがご本尊流布もした。男子部時代に悔いは一切無い。

わがままを言わせて貰った(未活動家の)一ヶ月間は、今にして思えば必要な時間だったのかもしれないし、当然、魔の部分も充分にあっただろう。

久しぶりに更新したけれど、啓蒙的な、示唆的な、結論や着地点のある記事ではないけれど、こんなことを書ける様になったのも壮年部になったからだろう。

題目の声とマナー



 何人かで一緒に題目をあげていると、時折他人の題目が気になることがある。まあ、人それぞれみたいな部分もあるし、他人の題目にいちいち気になっていてもしょうがない。

仏壇を見ればその人の信心が分かるのは当然だが、題目でもなんとなく察することだ出来る。唖然とするのはご本尊を見ていない人、意味も無く目を瞑っている人もいる。手の位置(基本は指先は下唇とあごの中間あたり)、姿勢、そういうのは千差万別である。


 ここ数年、やけに気になるのが、題目三唱の時や普通の題目の時にやけに“妙”に力が入る人、“妙”の声だけが大きい人、アクセントが他と比べて強い人、“妙”の部分が長い人である。
(題目三唱の時ではなく)“妙”と“法”の発音時間が6:4位の人がいる。とにかく“妙”が強調される題目はクセのある題目である

他人の題目にいちいち指摘するのはどうかと思うが、酷い場合にはきちんと言う。また、普段、題目をあげてない証拠は“足の痺れ”ではない。長い時間の唱題会の途中に足をモジモジさせるのは一概に普段題目をあげていない、とは言えない。体格もあるし、家で座椅子を使っている人もいるだろう。
問題は声の“高低”だ。10分位のサイクルで息継ぎと同時に声の質(高低)がクルクル変わる人がいる。こういう人は題目に自分の声が慣れていないのだ。家でしっかり題目をあげている人は、長い時間題目をあげる時の一番しっくりくる声をきちんと身に付けている。先生の指導にも“生活に顕れるよ”との指摘がある。実際にそういう人を見てみるとまさしくそうである。


 あと、なんと言っても題目中に携帯をいじる人やメールを打つ人である。偉い幹部や忙しい幹部はまめに連絡が入るのはしょうがないが、題目中に携帯を触る人はどうかと思う。であるなら、中座してからメールなり電話をするべきである。特に導師でそれをやるというのは参加者に失礼である。長時間の唱題会ならまだしも普通の会合の冒頭の勤行→題目はせいぜい10分位だろう。その時間さえも待てないのだろうか。

あとは、導師も含めて電話に出ちゃう人もいる。更に普通の声の大きさで会話しちゃう人がいる。僕は必ず“部屋を出て話しなさい(してください)”と目で合図する。
あと面白いのが、どうしても電話に出なくてはならない場合に誰かが小声で会話し始めると、普通は周りは一斉に題目の音量を下げる。実は、こういうマナーみたいなものって昔の人は知っていたけど、最近の若い男子部は知らない。そんなの構わずに周りはガンガンに題目をあげている。まあ、電話に出るのもどうかと思うが、会話し易い様に周りが声を小さくしてあげる気遣いみたいのが昨今無くなったなぁ~(笑)


 先ほど書いた、他人の“妙”が強い(長い)クセのある題目が気になる、ということについて言えば、そう感じていた矢先に幹部からこんな話を聞いた。
最近、先生はその“妙”が強い、長い、大きい題目をあげる女子部幹部をかなり厳しくメチャクチャ叱責したらしいのだ。彼女(達?)は早速、自分の題目を録音してチェックしたということである。 


 今一度、僕らも自分の題目を録音して総点検するべきだろう。まあ、一念(心)が大事なのは言うまでもないけどね。

慢心ではない



 最近ドタバタで更新が滞りがちだが、それは

 実は、今回の人事で違う部の派遣の部長になった。部長として3部目、派遣では2部目である。
三年間やった派遣の前部は部長として大勝利する事が出来た。前部は自分も含めて続けて派遣で部長を貰っていたが、「次の部長(後任)は組織内から出す」(副部長が部長になった)という就任当時の決意の一つも達成出来たし、三年前に全5地区で地区リーダーが一人しかいない組織から4人の地区リーダーを立たせる事が出来たし、残る1地区のリーダー候補も次の人事ですぐに登用されるであろう。
更に、何よりも前部長としての本当に“最後の日”(新しい組織の部長任命の前日)に部の大学校生が折伏を決めた。新しい部の人事の話を貰った約2ヶ月前からの『部長として、先生の弟子として歴史を作る。残り僅かな期間を最高の形をもって闘い切る』という祈りも叶ってしまった。三年間、様々な事があったが今振り返ってみると自身としては完勝である。後悔はない。最高の形で新しい部長にバトンタッチをする事が出来た。

部長交代の挨拶の際に部員さんや壮婦や幹部に僕は胸を張ってよくこう言った。
「僕は勝ちましたよ。部長として完璧に勝ちました。組織をここまで発展させましたよ」と。

 さて、敢えてここまで書いたのには理由が。

 アンチにしろ一部の内部にしろ先生の名誉教授称号や学術称号などの様々な顕彰に対して批判的かつ違和感を覚える人が多い。連日ともいえる聖教新聞一面トップの扱いに『宗教家がそういう類のものを自慢気に語るのはいかがなものか?』と。
しかしこれは仏法をまだまだ理解していないのである。『然れば久遠実成の釈尊と皆成仏道の法華経と我等衆生との三つ全く差別なしと解かりて妙法蓮華経と唱え奉る処を生死一大事の血脈とは云うなり、此の事但日蓮が弟子檀那等の肝要なり法華経を持つとは是なり』(1337頁)

つまり自分とご本尊と大聖人は全く差の無い偉大な仏である、という意味である。自身もまた宇宙規模の偉大な人間であり、仏性を信じて祈り、行動し、“仕事”をしていけば何事も成し遂げられるという意味だ。つまり先生はその思想と行動による結果として世界が賛嘆するのは当たり前なのである。当たり前だから“嬉しいから報告しちゃいます。凄いでしょう?”となる。これは『法華の慢』といって正しい慢心なのである。そういう慢心はドンドンしていかなきゃいけない。『喜び身に余るが故に堪(た)え難くして自讃するなり』(334頁である。


 日本という国の文化(学会組織にあっても)はそういうのを嫌う。相手と合わせ、謙虚で、卑下し、どこか自分を殺して何かの犠牲になっている精神が“善”とか“美徳”とされる。だから組織で結果を出しても“いやいや、たまたまです”とか“皆さんのお題目のおかげで・・・”とかいう態度が好まれる。逆に「はい、祈り、行動し、自分を信じて頑張ったのでこういう結果を出せました。当然だと思います」と言ったら場合によっては“慢心だ”と非難される。
慢心とは誰かと比べて自分を優れた存在だと思うか、誰かと比べて自分を卑下するか、つまり自分と誰かを比べることが本来の意味である訳だから、『あなたの信心は慢心だ』という批判の中には仏法上関係のない社会通念的な意味での嫌悪感が多分に含めれていることが多い。

では、先生は自分だけが特別な存在だからここまで世界から賛嘆されると言った事があるだろうか? 戸田先生や牧口先生と比べて自分は優れているという発言があっただろうか? 会員に対して『僕は出来たけど、君達は到底出来ないだろうな』と言った事があるだろうか?
先生は「僕はこういう闘いと結果を出してきたんだけど、君達だって同じ様に出来るんだよ。」と激励してくれているのである。先生のよく言う「学会をここまで発展させたよ」という趣旨の発言は“法華の慢”であり、正しい行者としての証なのである。

自分は妙法蓮華経の当体であるし、無条件で学会員全員が仏なのである。よって自分の仏性を過小評価すると同時に、役職が下であろうと様々理解し難い部員さんであろうと、相手の仏性を否定するのもまた、前者はご本尊不信であり後者は同志誹謗(軽善)という謗法であるのである。

記事の途中で書いた『僕は勝ちましたよ。部長として完璧に勝ちました。組織をここまで発展させましたよ』も、僕だから出来たのではない。僕ではない部長だったらここまで前進出来なかったという想いは一切ない。だから新しい部長に続けて言う。
「・・・〇〇君(新任部長)も同様に発展・前進出来る筈ですから頑張ってください」と。


 どんな悩みがあろうとも、苦境にあろうとも、現状を周りから蔑まれ様ともそれでも“自分は仏である”とご本尊の前で自身満々に勝つと誓願出来るだろうか。「仏である自分がこんな筈がある訳がない」と確信出来るか。最悪な自分をとりあえず置いておいてご本尊が自分の分からない所で“グルグルグル!!ド~ン”と魔法みたいなものをかけて状況を改善させてくれる様な事を願う“己心の外”に求める信心ではなく、自分から数10センチ離れた所にある仏壇の中のご本尊を“胸中の肉団”として捉えられるかどうか。

 ご本尊の前でどの様な心(一念)でいられるか。その微妙な差でその後の行動、結果が全て決まってくるのであると思う。

30歳の時 体験談①


 
 前回の記事 『青春の終わり』は、今回の話に繋がる為に書いた導入部分だったけれど、長くなりそうだったので単発でアップしてみた。青春の終わりなんて感傷的な話は実の所、どうでもいいのだ。

 以前の外部の恋人が自分が折伏した友人と結婚する事と、それにまつわる彼の言動によって僕は深い深い闇を彷徨う事になる。あれは30歳の時だった。

改めて書くこともないので、興味のある方は詳しくは『恋愛と信仰』①を読んでくれればと思う。
あの時は人間というものが分からなくなった。大げさだけれど死すら考えた程だ。未活動家の地区リーダー、家で題目すら上がらない。本質的な事まで幹部に指導を受ける気にもならない。人によってはどうでもいい様な、些細な馬鹿な話だとしか思わないだろうから。何より厄介なのは、僕は別に彼女に対してもう恋感情はなかったのだから。

とにかく学会本部に通い、仕事をしながら連日の様に題目を上げた。
自分の感情が一体どこに向かっていて、何を意味しているのか? と。病気でもないし、経済苦でもない。具体的にどう解決すべきかも分からない。自分の生い立ちを含めてこれまでかなりヘビーでハードでアンハッピーな部分も経験しているので、余程の事では動じない自信があった。しかし、それにしてもこれは何なんだ! この感情は何なんだ! と打ちのめされていたのだ。

先生の指導を貪り、組織にどっぷり浸かる事はなかったが部長と地区部長と連携を繋がりながら選挙戦を闘いまくった。友人の彼に対する怒りと恨み・・・次第に祈りが変わってきた。
”本当に幸せになるのは僕の方なんだ”
という確信だった。そして彼ら(友人と元カノ)もそれはそれで上手くいって幸せになることを心の底から祈ることが出来た。信心がちゃんと出来ない彼を連れて全国幹部宅に指導を受けにも行った。

学会本部で祈っていくと、何度も遠くにあるご本尊が目の前に迫る位の題目をあげ、涙すら出た。
僕は悟った。 ”(人生はなんだかんだ色々あるけど)ご本尊に題目を上げる為、広める為に生まれてきたんだ。”と。そしてご本尊に題目を上げているその行為だけで、なんて幸せなんだろう、と感じた。友人の彼の言動に振り回され右往左往していたのが“馬鹿らしい”ではなく、僕はこんな状況にとどまっている場合じゃないんだ、と。

信心は、いつまで、何を、どうするか、決めて、祈って、努力する。 である。しかし、いつまで、何を、どうするべきか具体的に分からないのである。心の問題なのだから。僕はこう祈った。

”でも、僕は絶対に幸せになるんだ。どうすべきか分からない。だからもう後は全てご本尊様にお任せします。ここを通過し、全てが意味のあることとして価値に転換し、新しい自分、新しいこの世(信心とは別の)と社会での使命を教えてください”

②へ続く。

30歳の時 体験談②


①からの続き

 確か本部近くか地元の本屋だと思う。本部での題目の帰りにふらりと入った本屋で、心の解れた複雑な糸を解くのに本でも読んでみるか、とふと何気なく思いつきで買ったのが『世界の中心で、愛を叫ぶ』だった。
そもそも僕という人間は小さい頃より音楽人間だった。芸術的快楽というのだろうか、僕は音楽に一切を求めていたし、それで十分だった。それまで読書なんて大嫌いだったし、文学とは対極にいるタイプの人間だった。学生時代の読書感想文は苦手だったし、一応20代は少しだけ思想書みたいのは読んだけれど、自分でお金を出して買ったフィクションの文学作品は生まれて初めてだったといっても過言ではない。

『世界の中心で、愛を叫ぶ』を読んで不覚にも(笑)感動してしまった。同時に僕の感情の不安定さ、あるいは“心のコリ”の様なものに血が通っていく感覚を覚えた。『世界の中心で、愛を叫ぶ』がそうなのではなく、読書という行為と物語の効用によって僕は大分救われたのだ。

 それから内外問わず貪る様に本を読んだ。10冊程読んだ所で思った。
僕も書いてみよう! と。

実話ではない。様々な形状をした心や感情一つ一つに色をあてはめる様にし、それらを言葉に置き換えて、メタファーとして、書いてみたのだ。小説としての文章の書き方も句読点の打ち方も、”でにはを”の使い方も(今も酷い文章だけれど)全く分からずに。自分に起きた事や抱いた想いを率直に表現するのではなく、背景や物語の些細な部分に自分すら気付かない様に忍び込ませながら。そして軽い気持ちで大手出版社の新人文学賞に応募してみた。

 
 次の新しい物語を書き終えた頃(文学賞の結果待ちの間)に偶然にも地区の部員さんの折伏に入って決め、ご本尊送りをした翌日だった。
その日はなんとなくビールが飲みたかった。地元の駅前にあるビール・バーで夜、一人で飲んでいた。一人店でグラスを傾けるタイプの男では(今も)全くない。店で一人で飲むのはその時人生初めてだったし、家で一人で酒を飲む事すら今でもない位である。
しばらくして40代であろう清楚な感じの女性が店に一人でやって来て、二つ隣に座った。僕は全然気にしていなかった。少ししてからである。

「お一人ですか?」と僕に声を掛けてきた。

「は、はい」


仕事は何をされてるんですか? みたいな話から隣の席に移ってきて一緒に飲む事になった。正直、びっくりしてしまった。こんな事は映画やドラマの世界だけの話かと思っていたのだから。
世間話をしているうちに彼女(Aさん・外部)が離婚していて、子供がいて、近くに住んでいて、出版関係のプロの編集者である事が分かった。

「ちょっと趣味で小説書いてるんです」と僕は興味本位で言ってみた。

③へ続く。
 

30歳の時 体験談③


②からの続き。

 一度、是非読ませて欲しい、という事だったので、次に同じバーで会う約束をし、連絡先を交換した。文学賞に送ったものではなく、書き終えてある程度推敲した新しい小説を読んでもらった。

プロの編集者として「とても面白い。もっと推敲していけば絶対売れる!」と評価してくれた。後で聞いた話だと、Aさんは「ちょっと趣味で小説書いてるんです」と言われてもたかが素人の遊び(趣味)程度のレベルかとその時は思ったそうである。そして一ヶ月位後に最初に書いた作品の選考が文芸書に発表された。

えっ? 僕の名前がある!!

2000人近くの中から二桁に選ばれていたのだ。Aさんも驚き、喜んでくれ、それからは様々な現実的なコネクションも含めてアドバイスをしてくれる味方を作ることが出来た。

 自分の人生で、読書が好きになること、ましてや小説を書く、なんて全く想像外だった。生まれて海を見たことのない人間が漁師になる様な心境である。そして文章や小説を書くことを通して新しい自分を発見することが出来たし、新しい使命を発見出来たのだ。
気付いた時には僕は深い闇から抜け出すことが出来た。複雑な感情を言葉に置き換えた事によって僕の中で何かが清算されていったのだ。それからすぐに副部長人事で組織に戻され、部長、現在に至っている。

 30歳の時に学会本部で全てをご本尊に委ね、“どうしていいか、どうすべきなのか一切分からないが、とにかく幸せになる! このトンネルを抜け出すんだ! それ以外の細かい事は全てご本尊にお任せします!”という“南無”する祈りで乗り越える事が出来たのだと思う。
どうしていいか分からない八方塞な時には、身も心も全てをご本尊にお任せするという強い心と、そう決めきる勇気も時として大事な事だと体験する事が出来た。

 さて、実は、今まで公表していなかったけれど僕にもう一つブログがある。書い小説ををアップしているブログ 『Cappuccino Novel’s』 だ。
最後の更新が2005年だし、管理者ページにアクセスするパスワード自体覚えていない位に放置しっぱなしである。どこにも宣伝していないし、そもそもごくごく親しい知人・友人に書いた小説を文学賞に送る前に読んでもらって感想を聞く為だけに始めたものだ。

 そして今回の記事は、前回の『青春の終わり』と続いている。15歳の時の彼女と30歳で再会したあの時はまさに闇を彷徨い始めた頃だった。あの駅での偶然の出会いは、(記事の最後にも書いたけれど)意味があったのだ。

そう、一番初めに書いた小説で最初に文学賞に引っかかった『アメリカン・モーニング』に、事実と全然違うけれど色濃く反映されているのである。
文章も幼稚で、今読むと酷い文章だと笑ってしまう。何故評価されたのか全く分からないが、当時の僕の心境がある種生々しく反映されているのかもしれない。あの偶然の出会いが無ければ生まれていない物語だったと思うし、これからも物語を書き続けるであろう自信と契機を与えてくれた出会いだった。後になったら単に意味があった事と捉える事が出来た、ではない。祈り、動く中で自身に起こる一切の事象を価値に転換出来たのだ。

お時間ある方は是非。

『アメリカン・モーニング』

http://d.hatena.ne.jp/jamming_groovin/20040622

仕事三人前、信心一人前


 僕の部の若いメンバー(24歳)のA君は仕事がかなり忙しい
唯一の休みである日曜も半分以上は出勤し、平日も帰宅は毎日深夜だ。教学試験対象者だが、昨日の日曜(彼は仕事だったが)の夜にやっと会えて数時間二人で勉強会をし、同時に様々な話をした。

建築関係の10名程の会社の社長も含めて半数は偶然にも学会員である。A君のある先輩は男子部で頑張っているとの事だ。学会活動をしたいA君だが壮年部の社長はあまり理解していないらしい。

「学会員は(自分も学会員な癖に)、“やれ活動だ、会合だ”と頑張って仕事を疎かにする。組織で頑張っても社会で実証を示さないと意味がないのに・・・」と批判的である。

まあ、言いたい事はよく分かる。といってもA君は仕事はよくやっているし、そもそも忙しくて学会活動はあまり出来ていないのだから、社長の言葉はA君に対して使うべきものではないだろう。
前出の先輩は唯一の日曜を学会活動にあてる為に土曜日までに必ず仕事をあげるそうだ。A君も同様に頑張っているらしいが、彼が若いのと、会社の近くに住んでいる為に休日出勤などうまく使われてしまっている感じだ。その他様々な不満材料から会社を辞める、と最近社長に言ったらしいが、今は踏みとどまって頑張っている。


 僕の個人的な考えは、男の20代前半は仕事が忙しすぎて学会活動が出来ない位で丁度良いと思っているし、仕事がハードで体調を壊して入院、あるいは仕事で会えないという理由で恋人に振られる位の経験は一度位するべきだろう。
仕事→寝る→仕事だけの日々を20代に最低3年間は経験しないと30代になるときつくなる、という持論だ。

僕もそうだったし、ちゃんとした休日が正月休み(一日だけ)の後がお盆休み(一日だけ)という事もよくあったし、ホテルで料理人だった時は、公休は一ヶ月に9日間から10日間あったけど休みは平日だけのシフト制で、朝6時から夜9時まで働き、若くても休日は泥の様に眠らないと体が持たなかった。
しかし、そういう時代を過ごしたからこそ今は自分次第で仕事を調整出来るし、数年前から日曜の全休は月のうちやっと3日位は取れる様になった。仕事柄しょうがない世界だけど。

但し、前出のA君の社長の意見はどうかと思う。当然、未活動家の壮年部だ。
仕事か学会活動か、の二者択一という問題でもないのだ。また、自分が活動をしないでいる(したくないのだろう)の自己正当化の様にも聞こえる。

「俺は社会で闘っているんだからいいじゃないか」

別に学会員でなくても皆社会で闘っているのだ。そういう人はこの言葉を好んで引用する。

『仕事三人前、信心一人前』

活動ばかりやって仕事を疎かにする人が過去に増えた為に、ある種の戒めとして定着した言葉だが、皆勘違いしているのである。
「仕事を三人前やるべきであって、信心は一人前程度で良い」ではない。そもそもこの言葉の意味は

「仕事を三人前やるのは当たり前である。しかし仕事を三人前やったら信心(活動)を一人前やるなんて到底無理の話。それでも祈り、智慧を使い、工夫し、信心を最低一人前をやるべきなのだ。仕事を三人前やりながらね」という意味である。

仕事を三人前やる事に重きを置いた言葉ではなく、どんな状況であろうと信心は最低一人前やりなさい、という部分に重きを置いた趣旨なのだ。別に敢えて書くまでもないけど、仕事三人前は時間の長さの事ではない。三人分の価値に匹敵する仕事をやりなさい、という意味だ。

学会の人事面接の際に、「仕事はどうですか?」と常套句の様に聞かれる。
背景には「この新しい役職を問題なく遂行するに辺り、充分な時間を当てることが出来ますよね?」という意図もあるのだ。それも果たしてどうなのか。


 昔、面白い事を言った先輩がいる。
「まあさ、土日休みで、平日もちゃんと19時頃には地元に戻れて・・・仕事の融通がきいて・・・そういう人がちゃんと要所要所にいてくれないと学会もそれはそれで回っていかないんだよね」

そういう要所要所にいる人達の中には・・・それがA君の会社の社長の言葉に繋がっている部分は否定しないけどね。

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かいつぶり

Author:かいつぶり
職業 マスコミ

趣味 読書、楽器、小説を書く、料理、音楽

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好きな音楽 70年代のソウルミュージック。80年代前半の西海岸サウンド。あとジャズや、山下達郎周辺

好きな作家 ドストエフスキー、カポーティ、アーヴィング、ヴォネガット 

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